これまでの活動記録

第1回参加者感想

【北方面へ】
No.1 橋脚の耐震性は果たして大丈夫?(64才・男性)
No.2 救難道具はどこに?(42才・男性)
No.3 幼児連れの良い経験(34才・男性)
【東山方面】
No.4 多少遠回りでも励まし合って(27才・女性)
No.5 通れない歩道とトイレがない(55才・男性)
【西方面へ】(亀岡含む)
No.6 山越え歩行の辛さを痛感(45才・男性)
No.7 気持ちだけでも共感したい(53才・女性)
No.8 ゴミが気になりつい拾う(61才・女性)
No.9 あの日の体験を思い出し(25才・男性)
【乙訓方面へ】(大阪含む)
No.10 普段使用の靴に不向きかも(31才・男性)
No.11 左足を痛めながら参加(60才・男性)
No.12 災害を忘れないために参加(61才・男性)
No.13 通行を阻む障害物の多さ(26才・女性)
No.14 日頃の運動不足に疲れが出た(39才・男性)
No.15 主人と二人で楽しく(47才・女性)
No.16 違法駐車・・マナーの再確認を(61才・男性)
No.17 高熱の中で、無事帰宅(50才・女性)
No.18 空気が悪く歩きにくい国道(39才・女性)
No.19 旗を片手に、6年前を思いつつ(68才・男性)
No.20 歩いて気づいた警察や学校等(64才・男性)
No.21 トイレ場所の確認等、ポイント(49才・男性)
No.22 自宅を目指して70キロ (69才・男性)
No.23 犠牲者の追悼と復興への願いを込めて(51才・男性)
No.24 幹線道路を歩く(60才・男性)
No.25 震災の映像を思い描き( 不明 才・女性)
No.26 職業人としての自覚とは( 才・男性)
No.27 ゼッケンを着けて歩けば・・・(55才・女性)
No.28 アーケードの下は大丈夫か(50才・女性)
No.29 道の上に看板や電線が多い(49才・女性)
No.30 道路の危険性を認識(25才・女性)
No.31 自分の身は自分で守る(56才・女性)
No.32 限界に正面から挑戦して(60才・男性)
No.33 窓ガラスの落下は?(51才・男性)
No.34 ひたすら歩き続ける(58才・男性)
No.35 道路をふさぐ障害物の多さ(51才・男性)
No.36 家族の安否が気になって歩く(64才・男性)
No.37 危険性の少ない道路を歩く(45才・男性)
No.38 完歩できて満足(48才・女性)
No.39 川沿いに歩いて(53才・男性)
No.40 日常から耐えられる心身と感謝の気持ち(67才・男性)
No.41 国道は、排気ガス、騒音・・・(不明 才・男性)
No.42 惨事を忘れない為に参加(71才・男性)
No.43 気になる橋 (47才・男性)
No.44 橋が交通障害になる時(74才・男性)

【北方面へ】

No.1 橋脚の耐震性は果たして大丈夫?(64才・男性)

歩行距離 4.2キロ
歩行時間 1時間12分
住所 京都市北区小山
歩いたコース 市役所 → 鴨川河川敷 → 自宅

市街地の建造物の倒壊を予測して、鴨川河川敷を自宅まで北上することにしました。大規模な震災の場合、河川敷は避難者で混乱し、歩行も困難になるのではと予想されます。
橋脚の耐震性は果して大丈夫なのでしょうか。倒壊する事態になれば、市中の東西交通網は寸断され大混雑に陥ることでしょう。近年の長引く不況で、各橋下に住まわざるをえない野宿生活の人々が増加しています。彼らの身の安全も考慮する必要があると思いました。
日頃の山歩きで使用しているトレッキングシューズを使用したのは大正解でした。被災地での歩行には大いに役立ちそうです。山行や野営の知恵と体力、装備などは被災の場合相当転用できそうです。
幼児を連れての参加でしたが、当初の予想より意外に早く着いたという実感です。今後の移動の際の目安になりました。災害時の市内の移動には、案外徒歩が有効かもしれません。その点を確信しました。
阪神淡路大震災で神戸市の親戚が被災し、京都市内の知人も西山断層上だったため被害をうけました。今回の体験で日常の備えの上に非常時もあると痛感しました。

No.2 救難道具はどこに? (42才・男性)

歩行距離 4キロ
歩行時間 50分
住所 京都市左京区高野
歩いたコース 鴨川御池河川敷→丸太町→出町柳→高野川沿い→高野

 市役所前を出発して、震災後に東灘区を歩いた時の光景を重ねながら家路に着く。道路幅6メートル未満は家屋の倒壊で歩けない。鴨川の橋は駄目だと想定して亀石(飛び石)を渡る。増水していない限りは濡れずに渡れる。
(ここから想像を交えて記述)
途中、サイレンの音と火災に出会う。また、倒れた老朽家屋で救助活動をしている人から手伝いを頼まれる。こどもや妻のことが気になってどうしようかと迷う。携帯電話は混雑してかからない。家がどうなったか、災害時にどこに集合するか決めていないから、よけい気になる。やはり家族全員の集合場所を決めておけば少しは手伝えるかもしれない。
いざ手伝おうとすると道具がない。特に、木造の倒壊現場では、バールやスコップが必要。手でやっていては埒があかない。外出中なのでそんな道具はない。町の各所に救難道具箱が設置してあれば効果的な救援ができる。(後日、各学区に1ケ所(多くは小学校)しか道具箱が設置してないと聞く)
丸太町通りまで鴨川は河川敷が広いので大丈夫だが、高野川に入ると土手は崩壊している。倒壊家屋に注意しながら川沿いに北に向かう。途中トイレ(小便)に行きたくなる。男なので立ちションも可能だが、女性だとどうなるのだろう。公園のトイレを捜すのだろうか。一階が駐車場になった古いマンションは危なそう。想像しながら歩いているとすぐ家に着いた。

No.3 幼児連れの良い経験(34才・男性)

歩行距離 8.2キロ
歩行時間 4時間15分
住所 北区大北山原谷
歩いたコース 御池通り-堀川通り-中立売通―北野天満宮内―衣笠―原谷

 3、4、6歳の3人の娘と共に参加しました。いつどこで発生するかわからない大地震に対して、いろいろな想定を家族ぐるみで行うことが大切だと考え、幼児を連れての移動に挑戦しました。「オシッコ~」「ダッコ~」「モ~イヤ~」「この公園で遊ぶ~」「車がいい」等々、娘たちの叫びを抑えつつの牛歩行軍は、非日常の体験として十分であり、別の意味でのサバイバルを経験することとなりました。
災害弱者としての幼児には、歩きよい道路、トイレ、公園など整備されなければならないし、これからの活動につなげていきたいと思います。
最後に、娘たちは「おとうちゃん、きょうはおもしろかったねえ。来年もまた、あるこうな~。」といっておりました。

【東山方面】

No.4 多少遠回りでも励まし合って(27才・女性)

歩行距離 4.5キロ
歩行時間 1時間30分
住所 京都市東山区本町
歩いたコース 市役所前→堀川御池→堀川五条→京阪七条→自宅

私は今回、まっすぐ帰れば30分足らずのところを、あえて友人と最大限一緒に歩けるコースをとったので、かなり遠回りをして帰りました。普段はバスや地下鉄を利用するのが当たり前の距離を歩くのはとても心細く感じましたが、道中話をしながら歩いていると、あっという間で、とてもリラックスして歩くことができました。
緊急事態の時は一刻も早く目的地に着くことはとても大切なことです。しかし、最短距離を選んで一人で行動するより、多少遠回りでも複数で励まし合って行動する方が結果的には良いことがあるかもしれないと感じました。災害時は瞬間の判断をしていかなければいけないので、普段から自分はどのような行動をとった時が一番冷静なのかを確認しておく必要性を強く感じています。

No.5 通れない歩道とトイレがない (55才・男性)

歩行距離 11キロ (万歩計13800歩 )
歩行時間 2時間
住所 京都市伏見区醍醐
歩いたコース 京都市役所→蹴上→国道山科→蚊ヶ瀬→醍醐寺→自宅

 今回のサバイバルウォーク、安全なルートでの帰宅という前提から、バスの運行ルートを選択、出発しました。約11kmのルート、2時間半の目標を立てましたが、思ったより早く2時間で帰宅できました。(今回はいかに早く帰宅するかを目標としました)
この帰宅ルートで気になった点。

  • 歩道の状態が悪い。(道路における弱者、歩行者、車椅子にきびしい)
  • 自動車、自転車等の邪魔、車椅子も通れない歩道もあった。
  • 舗装されていても、段差がきつい所が多い。交差点での車道との段差も気になった。
  • 夜間の場合、夜が明けるまで待つ方が安全なのでは?。
  • トイレが無い。目のつく所にトイレはなかった。(建造物の中のトイレは考えなかった)公衆トイレと案内板の整備が必要では?。

【西方面へ】(亀岡含む)

No.6 山越え歩行の辛さを痛感(45才・男性)

歩行距離 25キロ (万歩計40800歩 )
歩行時間 6時間
住所 亀岡市保津
歩いたコース 市役所→大覚寺→保津峡→明智越→保津町自宅

亀岡市内に入ってから疲れで歩幅が縮まり、飲まず食わず休憩なしの山越え歩行の辛さを痛感した。
国道9号線老ノ坂峠の歩行通行は平常時も非常時も交通事情により危険と感じているので北側に迂回したコース取りをしたが、途中ハイキングコースとなり、土砂くずれ、迷い道等、不適当と感じた。次回は南廻りの舗装道路を歩行しようと思う。
5年前の震災当日は福岡出張中で、関空行最終便と阪急の終電で深夜に京都に辿り着いた体験をした。関東地方の出張はいつも一抹の不安を持って出張している。

No.7 気持ちだけでも共感したい (53才・女性)

歩行距離 6キロ
歩行時間 55分
住所 京都市右京区山ノ内
歩いたコース 市役所→四条河原町→四条御前→市立病院

 友人4人と京都市役所から歩き出した。震災と想定するとビルや家屋、道路標識等が落ちていてこんなに早くは歩けないだろうな・・・と思いながら進んだ。1月17日の神戸の町は震災直後、どんな思いで寒い冬の朝を迎えたのか、せめてサバイバルウォークに参加して気持ちだけでも共感したいと思った。来年もこの企画があれば是非参加して神戸を忘れない!帰宅難民の会の参加者を友人に呼びかけ輪を広げたいと思いました。お世話をして下さいました事務局の方、本当にありがとうございました。

No.8 ゴミが気になりつい拾う (61才・女性)

歩行距離 4キロ
歩行時間 1時間
住所 京都市右京区太秦安井
歩いたコース 御池通りから西→堀川通二条で西へ→千本通り上がり→二条通りを西へ

 久しぶりのウオーク。2年程前迄は「あしながPウォーク」で年2回は歩いていたのですが、都合が悪かったり腰が曲がったりでつい遠ざかっていました。でも主人を送って後、用事を放ったらかして参加させて頂きました。気持ち良く歩けました。
距離、時間的に大した事はありませんが、いい体験させて頂きました。本当にありがとうございました。
自転車ばかりの最近で忘れていましたが、歩いていると街の中のゴミが気になり、つい拾いながら帰りました。
腰の曲がりようがひどくならなければ2001年もぜひ参加させて頂きたいと願っています。

No.9 あの日の体験を思い出し (25才・男性)

歩行距離 6キロ
歩行時間 1時間30分
住所 京都市右京区西京極
歩いたコース 市役所→御池通り→堀川通り→五条通り→西京極

 今回参加させてもらったのは、私自身が神戸市の灘区で被災し、当時住んでいたアパートも全壊、水も明かりにも不自由する生活を経験したということを、自分自身にもう一度思い出させ、風化させないようにするためでした。歩行距離・時間ともに大したものではなく、とても楽でしたが、すべてのものが風化しつつある阪神・淡路大震災の教訓をもう一度見つめ直し、今後の生活、そして京都の街で市民のために働く一人の人間としてとてもよい機会になったと思います。ありがとうございました。

【乙訓方面へ】(大阪含む)

No.10 普段使用の靴に不向きかも (31才・男性)

歩行距離 15キロ (万歩計17656歩 )
歩行時間 3時間
住所 京都市西京区大原野
歩いたコース 市役所→堀川御池→四条堀川→四条通り→上野橋→国道9号中山→自宅

 晴天に恵まれ快調に歩くことができて、自宅までの15キロの道のりは意外と短く感じた。しかし、今回あえて普段使用している靴で臨んだところ、足の裏にかなり負担をかけてしまった。慣れの問題かもしれないが、このぐらいの距離を歩くには不向きな靴なのかもしれない。実際歩いてみるとやはりそういう問題はあった。
それにしても国道の空気の汚れには今更ながら罪深さを感じる。予定されている地下鉄の延長や国道の立体交差化でこれらは近い将来改善されるのだろうか。
ところで今年のNHKの震災特集番組によると、倒壊家屋からの救助活動において、つるはし、スコップを主な装備とする自衛隊と、チェーンソー、エンジンカッターを装備する消防レスキュー隊の、それぞれの分担地区での成果に大きな差が出ていたらしい。災害とは人や組織の想像力や実力を、人命をもってしてまで容赦なく試すものだということに衝撃を受けた。
海外の諺の中に「予見された危険は半ば解決されている」というものがあるそうだ。しかし、その半ばからの道が意外と遠いものなのだろう。

No.11 左足を痛めながら参加 (60才・男性)

歩行距離 9.6キロ (万歩計13766歩 )
歩行時間 2時間3分
住所 京都市西京区桂
歩いたコース 御池→堀川通→四条通→西大路通→五条通→桂

 当日左足を痛め参加を躊躇しましたがとにかく参加した。ウォーキング中痛みがきつかったが何とか自宅にたどり着き、私にとってはまさにサバイバルウォークであった。
日頃からよく歩いているので歩くことの感想はないが、災害を想定すれば、
1 どんな状況下でも歩いたり走ったりするだけの体力の養成と歩くことの習慣
2 長距離を歩いても自宅に災害が発生しているかもしれず、それに対応できる体力の温存
3 日頃より歩いて帰宅する場合のコース(なるべく広い通路)の設定
4 公園の所在場所をコースの中で確認(特にトイレに役立つ)
5 家族への連絡方法の確保及び災害時このコースを歩いて帰るという、家族への日頃縒りの周知
以上5点を歩きながら思いうかべた。

No.12 災害を忘れないために参加 (61才・男性)

歩行距離 13キロ (万歩計15542歩 )
歩行時間 2時間15分
住所 京都市西京区大枝
歩いたコース 市役所→鳥丸御池→鳥丸四条→四条天神川→五条天神川→国道中山→自宅

 天気も良く気温も高かったので気持良く歩きました。
道路は幹線道路で歩道のある所を歩きましたが、市街地では震災の時は頭上から看板が落ちてこないかと心配しました。天気が良くて手に何も持っていなかったので早く歩けましたが、雨が降っていたり荷物を持っていたりした時はもっと時間がかかったことと思います。
阪神淡路震災後、阪神電車が青木まで開通した時に、御影まで歩きましたが、倒れた家屋を一軒づつ回っていたお巡りさんの姿、押しつぶされた車等、月日が経つ内に風化させていましたが、この災害を忘れないためにも機会があれば次回も参加したいと思います。この企画を実行された人達にお礼申し上げます。

No.13 通行を阻む障害物の多さ (26才・女性)

歩行距離 4.5キロ (万歩計6167歩 )
歩行時間 1時間20分
住所 京都市西京区桂 
歩いたコース 御池通り→堀川通り→五条通り→西大路通り→花屋町通り→佐井通り

 いつも何気なく歩いている様でもサバイバイルウォークという観点から見てみると気付くことがいくつかありました。大きな通りを選び歩いていく途中、公園などトイレもあり避難場所にもなる施設が少なかったこと、車で利用するタイプのお店が多いためか目立つように看板が歩道にせり出ていること、歩道や自転車道などせっかく広く作られているのに路上駐車で道が狭くなっていることなどです。その他、普段は便利で使っている歩道橋や橋などが震災の時には障害物になってしまうのだろうかと強く感じました。私たちはいつどのようなかたちで地震に遭うか分かりません。日常生活の中で忘れかけていたことを今回のサバイバルウォークに参加したことで頭に入れておく機会を持つことができました。来年も参加したいと思っています。

No.14 日頃の運動不足に疲れが出た (39才・男性)

歩行距離 7キロ (万歩計17656歩 )
歩行時間 2時間30分
住所 京都市西京区桂
歩いたコース 市役所→京都駅→八条通り→桂池尻町

 歩いている間は朝の空気が清々しく気持ちよかったが、日頃から歩いていないので、帰宅後どっと疲れが出てしまった。体力の低下が問題。市役所から自宅までの間を歩くこと自体は、平常時なら問題はないが、震度7以上の震災に見舞われたら、建物の倒壊によりおそらく帰宅は困難になる恐れがあると感じた。
また、自宅に帰り着いた後の問題として、水、食料、医薬品などの確保ができるかが、心配になった。

No.15 主人と二人で楽しく (47才・女性)

歩行距離 20キロ (万歩計23295歩 )
歩行時間 7時間20分
住所 向日市西向日
歩いたコース 京都市役所→堀川御池→五条堀川→西大路九条→久世橋→久我橋→西向日

 昨年、大阪から歩いて帰られた話を新聞で読み、大変だなあと思っていました。私も歩いてみたいと思いましたが、大阪から向日市の自宅へはちょっと無理(災害にあったら、そんな事は言ってられないんですが?)。京都の市役所からなら何とか帰れるだろうと今回参加しました。普段結構歩くようにしているので自信はあったのですが、膝を痛めていたので途中で歩けなくなったらどうしようなんて考えていましたが、主人と二人、本当はいけないんですが、アチコチ寄り道をしながら歩いたので、楽しく帰ってこられました。途中、ホテルでトイレを借りたりしましたが、ガソリンスタンドやスーパーなどトイレは結構あるようですが、どこも水洗トイレで水が出なくなったら困るでしょうね。次回もぜひ参加したいと思います。

No.16 違法駐車・・マナーの再確認を (61才・男性)

歩行距離 14.3キロ (万歩計18664歩 )
歩行時間 2時間33分
住所 向日市寺戸町
歩いたコース 御池通り-堀川通り-五条通―西京極運動公園―桂―向日市(自宅)

 私は大地震発生後を想定し、帰宅するコースをできるだけ幅の広い道路を選び歩くことと、避難が必要な場合を考え西京極運動公園を通るコースを設定しました。10年ほど前からウォーキングを楽しんでいますが、この程度のウォークは何等問題はありません。
しかし、震災が発生したときは想定できないことが発生するのはあたりまで、行政の指導や「心得10ヶ条」など日常自己責任において心得ておくのは当然のことだと思いますが、今回歩いて気になることがあります。
桂の町に入ってから違法駐車の「車・自転車」「道にはみ出した看板」「粗大ゴミの放置」等、これらが震災発生時に災害を一層大きくするのではないかと考えると恐ろしくなります。すなわち、これらのことは、知らぬうちに加害者として災害をもたらしているのです。
このことをよく考え、マナーの心得を再確認してほしいです。

No.17 高熱の中で、無事帰宅 (50才・女性)

歩行距離 13.8キロ (万歩計19819歩 )
歩行時間 3時間40分
住所 向日市寺戸町 
歩いたコース 市役所→四条河原町→四条大宮→東寺→久世橋→東向日(自宅)

 子供の頃より病弱な私は、今も風邪はひきやすく、今年も正月早々に39度4分の高熱に悩まされました。今回のウォークも風邪がぶり返すのではないかと家族に心配をかけましたが、お陰様で無事完歩できました。その後の体調も少しずつ元の体力に戻りつつあります。
毎日のウォーキングは無理をせず、これからも続けたいと思います。1月の冬の景色をながめながら、ゆったりとした時間がもてました。災害時のことを思えば、こんなのんきな事ではいけないと思いながら、我が家につくまでの道を間違えずに無事帰れたことは幸いです。

No.18 空気が悪く歩きにくい国道 (39才・女性)

歩行距離 14キロ (万歩計23314歩 )
歩行時間 3時間10分
住所 長岡京市神足
歩いたコース 市役所→御池通→堀川通→三条通→西大路→五条→西小路→花屋町→天神川→八条通→桂街道→171号線

 災害時には危険と知りつつも、普段あまり歩くことのない商店街や住宅街なども不謹慎ながら楽しんで歩いてみた。その辺りに比べやはり国道などは交通量が多くとても空気が悪く歩きづらかった。もし仮に災害が起きた場合、国道などはいつも以上に埃っぽく歩きづらくなるであろうから、マスクなんかがあると多少歩きづらさが軽減できるのではないか?と思う。あと次回は信号機が機能しない場合、橋が決壊して桂川が渡れない場合、家族と連絡がとれない場合など、いろいろなことをイメージしながら歩けたら?と考えている。

No.19 旗を片手に、6年前を思いつつ (68才・男性)

歩行距離 19キロ
歩行時間 3時間10分
住所 長岡京市滝ノ町
歩いたコース 市役所→御池堀川→五条堀川→五条千代原口→物集女街道→自宅

 朝食に餅を三個食べて来た。飲まず、食わず、休まず、をテーマに完歩する為。長岡方面の小旗を持って出発。御池通りを西へ、災害を想定して歩く道々5年前を思い出す。雲一つない青空のもと想定とは云い乍、当時とは雲泥の差の心境である。あの日の朝「グラッ」ときて娘夫婦は家具の下敷きになって居た。その時親の私は長岡京市にいて電話は通じず、交通手段はすべて絶たれてしまっていた。ただオロオロとするばかりであった。九死に一生を得て今は奈良に居を移して、3才と6ヶ月の男の子の母親となっている。今日の事を含めて孫達にも伝えておかねばならぬと思った。五条堀川を西へ、やがて大橋へ来た。もし橋が落ちていたらどうするか、上流を見ると堰が見えた。危険でもあるが、あれを渡るしかないと心に留めた。千代原口から物集女街道を南へ「帰宅難民の会」の旗を、歩く人、自転車の人、車中の人が見ながら過ぎて行く。あと少しだ。意外と疲労がない。日頃歩いているお陰だ。被災犠牲者の鎮魂を祈りつつ我が家についた。
「京都より長岡京への逃れ道、弥陀に添われてただひた歩く」

No.20 歩いて気づいた警察や学校等 (64才・男性)

歩行距離 20キロ (万歩計26747歩 )
歩行時間 4時間20分
住所 長岡京市奥海印寺
歩いたコース 市役所(8:25)→烏丸五条(9:00、3220歩)→9号線桂大橋(10:00、9779歩)→洛西竹の里(11:20、17620歩)→長岡天神(12:20、24064歩)→自宅(12:50、26747歩)

 最長距離、尼崎の人の話を聞いて勇気づけられた。京都五条通を西に向かって歩いたが、歩道と自転車道とがありスムーズに歩くことができた。災害発生の場合もメイン道路が良いと思った。
歩くことによって今迄気がつかなかった警察、学校等その他の地図上の目標が実感できたので、日頃自分の居住地の5km位はマスターする必要を感じました。歩く時間が2時間、1万2千歩の頃より疲れが感じられるようになった。自宅迄4時間20分で歩き、一つの目標を達成でき、交通機関使用せずに、災害への心構えができたように感じられる。日頃の練習も時折(家族を含め)実施し、体力アップにつとめたい。今回の計画を感謝いたします。PRもよろしくお願いいたします。多数の参加を期待致します。

No.21 トイレ場所の確認等、ポイント (49才・男性)

歩行距離 32.3キロ
歩行時間 5時間35分
住所 高槻市津之江
歩いたコース 京都市役所→烏丸三条→堀川三条→五条堀川→五条西大路→久世橋→高槻

 公衆トイレ、小学校等のトイレ利用場所の確認が必要と思いました。通常利用している橋が通行不能の時の代替となるルート及び橋の確認が必要です。
ラジオは携帯した方が情報収集に役立つと思います。雨具、懐中電灯は必携と思います。職場にはスニーカーを置いておいた方がよいと思います。革靴では長い距離は不向きです。

No.22 自宅を目指して70キロ (69才・男性)

歩行距離 70キロ
歩行時間 12時間30分
住所 神戸市東灘区
歩いたコース 京都市役所→高槻→大山崎→箕面→伊丹→西宮→自宅、ルート17号線

 市役所をスタートし、しばらく歩くと5年前の大震災後の時、友人をたずねて歩き回った時を思い出しました。国道を利用したので、車の通行量が多く排気ガスに悩まされました。各市町村の様子を見ながら気持ちをいやし、ただ自宅を目指し一目散に歩きました。  又途中にスーパー等があり安心して思い切り歩くことが出来有難く思った。ただ道中歩道等を通行中、ルールを守らない、特に夜間無灯火でおまけにスピードを出して走行する自転車が多く、危険な時が幾度もあった。特に若者が多いようです。
この度はウォーク参加でお世話になり有難う御座いました。来年もよろしく。

No.23 犠牲者の追悼と復興への願いを込めて (51才・男性)

歩行距離 50キロ
歩行時間 7時間50分
住所 尼崎市常吉
歩いたコース 京都市役所→竹田十条→国道171号線久世橋→甲武橋(西ノ宮)→自宅

 震災犠牲者の追悼と復興への願いを込めて、今回一生懸命に歩かせていただきました。私は酒井雄哉大阿闍梨氏を歩く心の師と仰ぐウォーカーで7km/h歩とラジオを聴きながらの挑戦です。
歩け、歩け。途中の風景では震災時の悲しい光景(灘区の民家全壊、三宮のビル倒壊等)が思い出されました。自己目標の7時間歩いてJR宝塚駅北伊丹付近を通過、あともう少し頑張れ!甲武橋(武庫川)付近よりすぐに自宅に到着。自分にご苦労様。玄関を開けると愛犬「ケン」と愛妻が出迎えてくれました。(※足の裏でマメを2個収穫、痛!痛!)今回楽しく歩けたことに感謝します。又来年も都合がつけば参加したいと思っています。有難うございました。(※足の疲れは帰宅後すぐ自転車を30分程漕ぐと解消し翌日も元気に楽しく歩けますよ。頼りになるのは自分の体力ですね。)
参考までに私の歩いた時間表を記入します。道路地図で確認して下さい。
8:30出発、9:30京阪国道十条、久世橋よりR171、10:30馬場、11:30阪急水無瀬駅、12:30高槻橋西詰、13:30豊川橋北、14:30牧落、15:30JR宝塚線北伊丹、16:00昆陽寺、16:20自宅。
平成12年1月17日(月)05時46分書。
阪神大震災での犠牲者のご冥福を祈ります。

No.24 幹線道路を歩く (60才・男性)

歩行距離 6.7キロ (万歩計17656歩 )
歩行時間 1時間12分
住所 京都市下京区
歩いたコース 市役所前→御池通→堀川通→五条通→七本松通→花屋町通→天神通

 家までほとんど幹線道路を歩きました。広い道路は大きなビルが多くビルの下はこわいし、細い道は通れなくなっている可能性があるし、やっぱり神戸のように壊れてしまうと思うように歩けなくなるのが良くわかりました。

No.25 震災の映像を思い描き ( 不明 才・女性)

歩行距離 6.7キロ (万歩計17656歩 )
歩行時間 1時間12分
住所 京都市下京区
歩いたコース 市役所前→御池通→堀川通→五条通→七本松通→花屋町通→天神通

 震度7の激震を想定して出発。とはいっても、頭の中で、阪神大震災のテレビでの思い描きながらのこと、なんの障害もない広い道をさっさと歩きました。  御池、堀川、五条通りには5階?7階建てのビルが立ち並び、現実であれば、まさにあの惨状が目の前に展開されて、この広い通りも瓦礫に埋まり車道にはもちろん車もひしめいて、人々のうめき声?等など、夫と語らいながら、でも、なかなか実感は湧かず、むしろ楽しいウォークでした。

No.26 職業人としての自覚とは ( 才・男性)

歩行距離 15キロ (万歩計17656歩 )
歩行時間 3時間
住所 京都市西京区大原野
歩いたコース 市役所→堀川御池→四条堀川→四条通り→上野橋→国道9号中山→自宅

 自動車整備士の私が、市役所前にて自動車を運転中に大地震に遭遇したと想定した時、自宅=職場の中京区四条中新道まで、どの様ににして帰るのが最良なのか?
阪神淡路大震災の規模を仮定するならば、おそらく御池通は両側のビルの瓦礫で自動車の通行する場所などまずなく、徒歩にて帰宅しなければならないのだが、自分の乗り捨てた車が障害物となり、緊急車輌の通行を妨げ火災等の被害を拡大してしまうであろう事は容易に想像出来るのだが、自分の車を含め鍵を掛けないで例え放置しても緊急車輌を通す通路の確保には大変な努力を必要とする。自分が元気で軽度の負傷ならば、自宅に帰るより初期には震災の被害者救助なり自動車関連の事業者として車輌の移動等による緊急車輌の通路確保をするべきなんだが家=店が気になって一目散に駆けて帰るのだろうか?はっきりその時にならなければわからない。
また御池通には地下構造物=地下鉄が通っているから、道路の陥没等で通行車輌が転落し悲惨な状態になっているならば、自宅に向かうなどは自己中心的過ぎる。その場にいる者が初期救助活動をする以外に、被害を最小限に杭留める方法は有り得ない雨の中、風の中、真夏の高温、真冬の雪の中、あらゆる状態で地震災害は襲い来るだろう。おそらく1時間以上は初期救助活動をしながら自宅方向へ向かう事となるで有ろう、食事を取らずに連続して行動出来る時間は5時間ぐらいだろうから3時間が初期救助活動をしながら移動出来る時間とすれば市役所から4キロメートルの自宅までがやっとだろう。
その場になった時は、ここ個人の人間性が問れる場になることは間違いないし。その時一個人の私として、自動車整備士の職業人として、後日に悔いの残らない活動が出来る事を切望して止まない、そのためには日頃から体力を付けて、心を豊かにしておかねば自分自身すら生き延びられない。皆さんその時は自分の出来る範囲で助け合いましょう。
そのような災害に出会わない事を願っています。

No.27 ゼッケンを着けて歩けば・・・ (55才・女性)

歩行距離 4キロ (万歩計17656歩 )
歩行時間 55分
住所 京都市下京区壬生
歩いたコース 市役所前→河原町四条→御前四条→京都市立病院→自宅(五条壬生川)

 道中の目標になる建物を確認しながら歩いたが、この高い建物や、木造の家が崩れてきたら人間ひとたまりもない。たまたま通りかかった人につぶされた蟻のごとくであろうと神戸の災害の恐ろしさと、すさまじさを改めて思った。そして、今もっとボランティアとして何か出来なかったかと考えさせられた。15日の朝日新聞の夕刊に活動が載っていたが参加した人たちもゼッケンでもつけて歩いてPRすれば良いかと思う。参加させて頂いて、災害を忘れない、防災の意識をもつ良い機会になりました。ありがとうございました。

No.28 アーケードの下は大丈夫か (50才・女性)

歩行距離 4キロ
歩行時間 50分
住所 京都市下京区西七条
歩いたコース 四条河原町→四条御前→五条御前

 私は友人2人と参加した。目的地は職場。経路は河原町通りから四条通りへと歩くことにした。しかし、四条通りに出てアーケードの下を歩くことになり、この道で良いのかと不安を抱いた。堀川通りに出たとたん道幅は広くしかも建物は少ない。アーケードはない。来年は、堀川通りを歩くことに決めた。
途中向日市から一人で参加したという女性と言葉を交わした。来年の再会を約束して四条大宮で国道に向かって歩くという彼女とは別れた。尼崎から来た人がいる中で私たちは近くて楽しすぎている気がしてきた。来年は遊び心をも持って目的地を変えていくことにしたい。是非この体験を多くの人に伝えて来年の参加を勧めていきたいと思いました。有難うございました。

No.29 道の上に看板や電線が多い (49才・女性)

歩行距離 4キロ
歩行時間 1時間30分
住所 京都市下京区
歩いたコース 市役所前→堀川御池→堀川四条→西大路四条→西大路七条

初めて歩きました。日常はバスや自転車で何気なく通りすぎている道も意外と頭上の看板や電線の多いことに気づきました。これからはいろいろと注目して歩きたいと思いました。

No.30 道路の危険性を認識 (25才・女性)

歩行距離 4.5キロ (万歩計8504歩 )
歩行時間 1時間20分
住所 京都市下京区西七条
歩いたコース 御池→堀川→五条→西大路→花屋町→佐井→自宅

 今回私が歩いた距離はそう長くはありませんでしたが、共に歩いた人達と問題点を挙げながら歩いたことは、日頃何気なく歩いている道路の危険性を認識する良い機会となりました。
公衆トイレや、トイレのある公園がないことや、せっかくの広い歩道に違法駐車がいっぱい。これは建物が倒壊したときのことを考えても、救助に向かう人のことを考えても大きな問題なので気になりました。他には、途中で学校があり、被災した際に利用できると思うので場所を頭に入れておくといいと感じたことと、京都には寺社仏閣が多く敷地も広いので利用を考えると良いのではないかとも思いました。
今回参加された方は、それぞれ歩くことや災害に対しての強い思いを持たれていて、お手伝いをしたことで改めて考えさせられました。5年前の震災当時にたった2日間だけのボランティアでしたが、宝塚で倒壊した建物を見たときに感じた「怖い」という気持ちは、まだ持ちつづけているものの具体的な備えが甘かったので、「サバイバル・ウォーク」が考えるきっかけになって良かったと思います。がんばって歩いて帰った先に家があり家族や友達と食事が出来る。当たり前のことに感謝しなければいけないということに気づかせてくれた企画でした。

No.31 自分の身は自分で守る (56才・女性)

歩行距離 4.6キロ (万歩計12000歩 )
歩行時間 1時間20分
住所 京都市下京区西七条
歩いたコース 御池→堀川→五条→西大路→花屋町→佐井→自宅

 朝6時自宅出発。娘と静まりかえった街中を歩く。自動販売機の明かりがやけに明るく感じる。地震で停電し暗闇の中を一人で知らない場所を歩かなければと想像すると不安は最高になる。集合場所の市役所より、大通りを選んで歩く。途中、公衆トイレ、公園らしきものが見つからず知人の事務所でトイレを借りる。「飲まず、食わず」と言っても1時間20分。これではサバイバルとは言えないかもしれないが、尼崎の人、年長者(74歳)の方が参加されていた。これは本当に正真正銘のサバイバルに違いないと思った。「自分の身は自分で守る」と自発的に多くの方が参加されたことに感動し励まされました。
感じたこと。
(1)京都は職住接近の人が多いといわれますが、これはすばらしいこと(地図もわかる)
(2)徒歩で30分以内のところにトイレ、水が使える公園、施設があれば良い(子供は待てない)
(3)大通りには?のような施設のある場所をわかりやすく掲示してほしい。
(4)自主防災として企業が施設の利用提供や防災道具管理などの協力をしてもらえる所が増えれば良いと思いました。また、防災の話、京都の活断層のこと、詳しい学習会を開いてほしい。
「自分の身は自分で守る」ことは基本。しかし、個々の力には限界。障害者、老人、子供など、弱者といわれる人(何時、自分自身が弱者になるかもしれない)を含む、住民の防災意識の取り組みも大切なことだと思った。

No.32 限界に正面から挑戦して (60才・男性)

歩行距離 4.8キロ (万歩計7800歩 )
歩行時間 1時間20分
住所 京都市下京区西七条
歩いたコース 御池通→堀川通→五条通→西大路通→花屋町西→佐井通→自宅

 妻と娘、娘の友人2人の5人で堀川五条まで。1人が抜けて4人が我が家まで。公衆電話の合計は24台(但し進行左側のみ)。公園、公衆トイレ所在表示の標識なし。歩道、自転車道に乗り上げた自動車も見られるが、道路を駐輪場と定め常時専有しているのが2箇所ある。
実は99年4月1日から釜座御池上るに事務所を確保し西七条の自宅から歩いて通っている。片道6300歩、歩幅を75㎝として4.8キロ、速足ぎみで50分を要している。公衆電話の台数と所在メモをつくり、10円硬貨10枚をサバイバル自己流グッズのひとつとして常備しているが、地震災害時に役立つ可能性は高くない。NTTの「171」は被災の際活用できる便利なものだが、これも量に制限があるので誰でもいつでも使えるものではない。携帯電話、無線、それぞれ役立つであろうが完全ではない。
私の結論は早く連絡をとるための努力と神経を身の安全を確保して緊急待ち合わせ場所に無傷で到着することに全力をあげることだ。だが、どの可能性も、その持つ限界にも正面から挑戦することが、そして自分のやるべき課題を定めることがサバイバル・ウォークの価値と信じている。

No.33 窓ガラスの落下は? (51才・男性)

歩行距離 6キロ (万歩計8400歩 )
歩行時間 2時間10分
住所 京都市南区 京都駅
歩いたコース 京都市役所→烏丸御池→烏丸五条→京都駅

 京都は歩いて楽しい面がある街だと思った。特に東本願寺の新しい瓦が目に優しかった。大きな通りを歩けと実行委員長が言われたが、大きなビルの窓ガラスは落下して危険ではないのかと思った。「窓ガラスは余震で落下しないのかな」などと考えた。年に一回程度はこんな企画はぜひお願いしたい。

No.34 ひたすら歩き続ける (58才・男性)

歩行距離 10キロ (万歩計17000歩 )
歩行時間 2時間18分
住所 京都市伏見区向島
歩いたコース 市役所→三条→川端通→七条→本町通→東福寺→稲荷→疎水→深草→藤森→京町通→丹波橋→観月橋→向島二ノ丸町

 新聞紙上で、当企画を知り、妻と参加いたしました。事前に市内地図を購入し、およそのコースとタイムを予想しておきました。当日は好天にて、歩いているうちに防寒着がいらなくなり、汗をかく事となりました。市役所前から向島までのコースは、ほぼ直線で南へ下る事ができ、地図上の最短距離を、飲まず、食わず、休憩なしで、ひたすら歩き続けました。
今回は鴨川、疎水端を下ったので、景色もよく車を気にする事もありませんでした。しかし七条大橋より本町通り、伏見インクライン前より京町通りは、車道一方通行で歩行に危険な個所も多く、災害時には、通行不能が予測されました。
本日体験する機会を得られましたので、今後、地域の防災活動に活かしたいと思っています。又、より多くの方々が体験するよう、勧めていきます。

No.35 道路をふさぐ障害物の多さ (51才・男性)

歩行距離 6キロ
歩行時間 1時間05分
住所 京都市伏見区深草
歩いたコース 京都市役所→河原町通を一路南下、十条通で鴨川右岸を勧進橋へ

 参加することにしてから、どのルートを採るか考えて、火災が発生した場合、水の近くを通るのがいいだろうから川端通りがいいか、鴨川の河川敷を行った方が、と考えたりしたのですが、初めてのことだからということで、一番ストレートな河原町のルートを採りました。アーケードは安全なのかな、街路樹は?など考えながら、よそ見をしながら、放置自転車や歩道にはみ出して置かれている看板が意外に多いのに、改めて気が付きました。歩くことは厭わない方で、よく歩きますが、今後は障害物のこともチェックしながら歩こうと思います。また勤務先が大阪市内ですので、これを契機にそこから帰宅することもやってみようと思っております。

No.36 家族の安否が気になって歩く (64才・男性)

歩行距離 7.2キロ (万歩計10269歩 )
歩行時間 1時間30分
住所 京都市伏見区深草
歩いたコース 京都市役所→河原町通南下→R24(墨染)

 実際に震災に遭遇した気になって歩いた。
1.家族の安否を早く確かめたい、と同時に無事な姿を見せたい、の思いで。その度歩調を一定に保ち、一人で黙々と歩き続けた。脇目せず信号待ち以外は足を止めずに。結局、体力を知り、疲れを感じる度合を知り、大変参考になった。
2.計画されたスタッフの方々に感謝の意を表したい。第一回と思えぬ周到さに感心しています。
3.被災した時を想定するのは、何等かの形で参加することにより関心を深めて常々心の準備をすることが大切である、と感じました。
4.もっと多くの参加を募る為にPRの方法を公の広報を通じて知らせては如何でしょうか。

No.37 危険性の少ない道路を歩く (45才・男性)

歩行距離 18キロ (万歩計25000歩 )
歩行時間 3時間35分
住所 宇治市琵琶台
歩いたコース 京都市役所(8:20)→川端通(4600歩)→七条(9:15)→疎水道路(9700歩)→観月橋(10:45)→堤防(3800歩)→隠元橋(11:15)→堤防(10600歩)→京阪宇治駅(12:05)

 早朝の京都市役所の出発では、それぞれに思いを持った人達が阪神大震災の記憶を呼び戻し、今ここで地震が発生したときに自分の採るべき行動を実践するがごとく個人個人のコースを選択して自宅に向かいました。
私のコースでは、危険性の少ない開けた道路を歩くことにした。ただし、最悪の状態(台風・洪水?etc.)を考えると、よい判断ではなかったと思うが、高層建築物の倒壊を想定すると安全な道であると思う。しかし、途中にJR鉄橋、観月橋、隠元橋などで交通が寸断される可能性があった。
今後は、帰宅難民の最悪の状態とされる夜間の帰宅も検討し挑戦を考えている。
追伸(反省)最近、歩いて行動することが少ないため仕事での移動にはできるだけ歩くこと。また、休日にはハイキングを兼ねたウォーキングと防災に向けたボランティア活動に努めたい。

No.38 完歩できて満足 (48才・女性)

歩行距離 18キロ (万歩計24661歩 )
歩行時間 3時間20分
住所 宇治市
歩いたコース 京都市役所→河原町通→勧進橋→R24→本町通→稲荷神社→R24→観月橋→近鉄大久保駅前→自宅

 他都市での実施を知り、京都でもあればと思っておりましたので、今回参加出来て良かったです。幹線道路を使うという条件を、途中少し破って、稲荷神社へお参りしました。毎日約50分、7千歩程歩いていますが、2時間半程で疲れを感じ始め、3時間を過ぎると足の後ろが張ってきました。それでも普段電車を使っての3倍強という時間で歩けるのは驚きです。完歩出来た自分に満足!!お世話役の皆様、有難うございました。

No.39 川沿いに歩いて (53才・男性)

歩行距離 15キロ (万歩計20996歩 )
歩行時間 3時間10分
住所 宇治市木幡
歩いたコース 京都市役所→鴨川河原を南下→七条→疎水べりを南下→深草→伏見桃山→御陵の中→外環状、六地蔵→府道京都宇治線→木幡

 阪神大震災以来、「帰宅難民の会」の催しに興味を持っていたこともあり、今回京都で初めて行われると聞いて参加しました。何度となく自宅まで歩いたことがありましたので、コース取りを今回は、落下物の危険の少ない、鴨川沿いの河原に求めました。
しかし地震災害時は、橋桁の崩壊など予想されるし、堰堤上の道を歩けるかどうか?古い町家が密集している伏見界隈は倒壊家屋が道をふさぐのではと思いながら、狭い車道を歩くのは地震災害でなくても車が恐い。狭い車道において、車で埋まってしまった図を想像する、倒壊家屋の火が車へ延焼、爆発なんて?災害を広げてしまう。
今回、同行の一人が携帯電話を使っていた。きっと災害時では、普及著しいこともあって、携帯と言えどもつながりにくいはず。ここはハム用無線機が活躍するのではと思っている。阪神大震災の時のアマチュア無線の実績もあることだし、常に使えるようにしておきたい。この時期の、飲まず、食わず、休まずだとガマンはできるが、夏のカンカン照りの時はつらいだろうなと思う。協力できるかどうかわからないが次回もまた参加してみたい。

No.40 日常から耐えられる心身と感謝の気持ち (67才・男性)

歩行距離 25キロ
歩行時間 4時間20分
住所 城陽市寺田
歩いたコース 京都市役所→河原町通→京都駅八条口→烏丸十条→竹田街道→師団街道→旧24号線→向島→小倉→大久保→寺田(自宅)

 阪神大震災から丸5年を前に、サバイバル・ウォークに参加を決意し、京都市役所前に集合した。受付のあと、間もなく開催され、主催者のあいさつがすみ6432人の尊い犠牲者への黙祷を捧げた。
出発のゴーサインを待つ間、しばしの緊張を覚える。8:25、いよいよスタート。何もなく静まり返る日曜日の朝の街並みは平穏そのものだが、電柱が倒れ、電線がぶち切れて垂れ下がり、住宅やビルが無惨に倒壊し、瓦礫の山となり散乱する危険な中を歩かねばならない恐怖の光景を想像しつつ、一路自宅を目指しひたすら進んだ。
万一に備えてのウォークだが、万一はいつでも起こり得る事の裏返しではないのかと考えると身も心もぐんと引き締まる。そうしたときに備えるためには、やはり日常から耐える心身と豊かさに感謝する気持ちを持続してゆくことが肝要ではないか。又“喉元過ぎれば熱さを忘れる”のたとえを真に活かすためにも、この日の行動参加は、本当に意義深いものであったと痛感した。

No.41 国道は、排気ガス、騒音・・・ (不明 才・男性)

歩行距離 21キロ (万歩計31854歩 )
歩行時間 4時間
住所 八幡市
歩いたコース 京都市役所→河原町十条→国道十条→国道1号線に沿って八幡

 あらかじめ自宅で、地図上で予定していたとおりのコースを歩きました。早朝は車も少なく快適でしたが、一号線は思った通り車が多くて、排気ガス、騒音で歩くにはあまり適していないと思った。(災害時にはそんなことは言っておられませんが?)
特に名神京都南インターのあたりは、歩道がなくなってしまい車に囲まれてしまいました。それでも木津川あたりまでは歩道がしっかり確保されていましたが、八幡市内に入ると歩道がなくなり路側帯を歩くので危険だった。
でも予定していた時間よりもずいぶん早く家に着くことが出来ました。

No.42 惨事を忘れない為に参加 (71才・男性)

歩行距離 20キロ
歩行時間 4時間45分
住所 八幡市男山
歩いたコース 京都市役所→高瀬川沿いに七条→鴨川沿いに八幡→自宅

 5年前の震災時は喘息の発作のため入退院を繰り返していた時期で、一部損壊の豊中の自宅のテレビで惨状を見、カンパだけでしか参加できなかった。ほぼ体調が戻ったので少しでもあの惨事を忘れないために参加を決意。のどかな鴨川、桂川を歩くだけでは追体験などとても無理なのは分かっていたが「忘れないために参加する」ことが出来ただけでも良かった。
● 朝6時起床、でも5時46分よりは遅い。暗いうちに起きて台所へ下りる時、やはり食器棚の食器のほとんどが飛び出し足の踏み場がなくて「凄い地震や!」と驚いた時のことを思い出した。
● はじめ高瀬川沿いに歩いた(排気ガスがこわいので)が、災害の時は、狭い道、こみあった人家、旅館?はだめ。鴨川沿いのような道がよいと実感(当たり前のことだが)。
● 桂川との合流地点で約15分一度だけ休憩したが、体力が回復したので調子にのってスピードアップ。お陰で左足裏にマメが出来てしまった(軽かった)。気が早まってもマイペースを崩すべからず。
● 100人の仲間と一緒に歩いているんだということが実感され、すばらしい一日になった。そして自分の歩行体力の見当もついて良かった。

No.43 気になる橋 (47才・男性)

歩行距離 21キロ (万歩計26105歩 )
歩行時間 4時間10分
住所 八幡市男山
歩いたコース 市役所→烏丸通→国道1号線→大手筋→府道京都守口線→御幸橋→八幡

 昨年は大阪市役所より自宅まで6時間以上かかって歩きました。この時は4時間を過ぎると足がスムーズに前に出なかった。今回は距離が短く、全行程下りとなるため疲れる前に自宅に到着したが、途中で足裏にマメが出来て歩きづらい時期があった。京都より八幡までは必ず鴨川・桂川・宇治川・木津川を渡らなければならないため、地震で端が壊れた場合は帰宅するのに、大きく迂回しなければならないので、京都府南部にもっと橋があればと思う。

No.44 橋が交通障害になる時 (74才・男性)

歩行距離 26キロ (万歩計34700歩 )
歩行時間 7時間50分
住所 八幡市男山
歩いたコース 京都市役所→河原町通→京都駅→名神京都南→淀→八幡→橋本→男山

 小生の自己PR。昨年は一晩で100km歩行を4回、その他一日50km、40kmは数知れず、の状況です。
今回は貴会主旨通り飲まず食わずを実践し、加えてトイレ以外休まず完歩しました。震災の状況により国道1号及び旧1号共に宇治川、木津川の橋が交通障害の重大なるキーポイントとなると思います。桂川も例外ではないと思います。阪神大震災の発生のメカニズムから類推する時、西方及び西南方の災害が大きいと考えられ、東方からの支援が期待されるが、滋賀県の道路、特に瀬田川にかかる橋が重大なるキーポイントを握ると思います。次に道路は国道1号線、旧1号線、171号線及び24号線と更に京滋バイパス、京奈和バイパスと京都に入る道路は相当重複しているので、神戸の様に東西一本ずつと云う事はないので、その点特に問題ないと思料されます。
更には対火災についても加茂川、高野川、疎水、桂川等、天然の河川の利用が期待し得るので、神戸と状況は相当異なると思います。以上素人の意見であり、問題は多々あると思います。
最初に最高齢者が72才とあるが間違いです。朝日新聞まで72才と書いていたが正しい取材と情報提供すべきです。

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