これまでの活動記録
第1回参加者感想
No.1 橋脚の耐震性は果たして大丈夫?(64才・男性)
No.2 救難道具はどこに?(42才・男性)
No.3 幼児連れの良い経験(34才・男性)
【東山方面】
No.4 多少遠回りでも励まし合って(27才・女性)
No.5 通れない歩道とトイレがない(55才・男性)
【西方面へ】(亀岡含む)
No.6 山越え歩行の辛さを痛感(45才・男性)
No.7 気持ちだけでも共感したい(53才・女性)
No.8 ゴミが気になりつい拾う(61才・女性)
No.9 あの日の体験を思い出し(25才・男性)
【乙訓方面へ】(大阪含む)
No.10 普段使用の靴に不向きかも(31才・男性)
No.11 左足を痛めながら参加(60才・男性)
No.12 災害を忘れないために参加(61才・男性)
No.13 通行を阻む障害物の多さ(26才・女性)
No.14 日頃の運動不足に疲れが出た(39才・男性)
No.15 主人と二人で楽しく(47才・女性)
No.16 違法駐車・・マナーの再確認を(61才・男性)
No.17 高熱の中で、無事帰宅(50才・女性)
No.18 空気が悪く歩きにくい国道(39才・女性)
No.19 旗を片手に、6年前を思いつつ(68才・男性)
No.20 歩いて気づいた警察や学校等(64才・男性)
No.21 トイレ場所の確認等、ポイント(49才・男性)
No.22 自宅を目指して70キロ (69才・男性)
No.23 犠牲者の追悼と復興への願いを込めて(51才・男性)
No.24 幹線道路を歩く(60才・男性)
No.25 震災の映像を思い描き( 不明 才・女性)
No.26 職業人としての自覚とは( 才・男性)
No.27 ゼッケンを着けて歩けば・・・(55才・女性)
No.28 アーケードの下は大丈夫か(50才・女性)
No.29 道の上に看板や電線が多い(49才・女性)
No.30 道路の危険性を認識(25才・女性)
No.31 自分の身は自分で守る(56才・女性)
No.32 限界に正面から挑戦して(60才・男性)
No.33 窓ガラスの落下は?(51才・男性)
No.34 ひたすら歩き続ける(58才・男性)
No.35 道路をふさぐ障害物の多さ(51才・男性)
No.36 家族の安否が気になって歩く(64才・男性)
No.37 危険性の少ない道路を歩く(45才・男性)
No.38 完歩できて満足(48才・女性)
No.39 川沿いに歩いて(53才・男性)
No.40 日常から耐えられる心身と感謝の気持ち(67才・男性)
No.41 国道は、排気ガス、騒音・・・(不明 才・男性)
No.42 惨事を忘れない為に参加(71才・男性)
No.43 気になる橋 (47才・男性)
No.44 橋が交通障害になる時(74才・男性)
No.1 橋脚の耐震性は果たして大丈夫?(64才・男性)
市街地の建造物の倒壊を予測して、鴨川河川敷を自宅まで北上することにしました。大規模な震災の場合、河川敷は避難者で混乱し、歩行も困難になるのではと予想されます。 |
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No.2 救難道具はどこに? (42才・男性)
市役所前を出発して、震災後に東灘区を歩いた時の光景を重ねながら家路に着く。道路幅6メートル未満は家屋の倒壊で歩けない。鴨川の橋は駄目だと想定して亀石(飛び石)を渡る。増水していない限りは濡れずに渡れる。 |
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No.3 幼児連れの良い経験(34才・男性)
3、4、6歳の3人の娘と共に参加しました。いつどこで発生するかわからない大地震に対して、いろいろな想定を家族ぐるみで行うことが大切だと考え、幼児を連れての移動に挑戦しました。「オシッコ~」「ダッコ~」「モ~イヤ~」「この公園で遊ぶ~」「車がいい」等々、娘たちの叫びを抑えつつの牛歩行軍は、非日常の体験として十分であり、別の意味でのサバイバルを経験することとなりました。 |
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【東山方面】
No.4 多少遠回りでも励まし合って(27才・女性)
私は今回、まっすぐ帰れば30分足らずのところを、あえて友人と最大限一緒に歩けるコースをとったので、かなり遠回りをして帰りました。普段はバスや地下鉄を利用するのが当たり前の距離を歩くのはとても心細く感じましたが、道中話をしながら歩いていると、あっという間で、とてもリラックスして歩くことができました。 |
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No.5 通れない歩道とトイレがない (55才・男性)
今回のサバイバルウォーク、安全なルートでの帰宅という前提から、バスの運行ルートを選択、出発しました。約11kmのルート、2時間半の目標を立てましたが、思ったより早く2時間で帰宅できました。(今回はいかに早く帰宅するかを目標としました)
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【西方面へ】(亀岡含む)
No.6 山越え歩行の辛さを痛感(45才・男性)
亀岡市内に入ってから疲れで歩幅が縮まり、飲まず食わず休憩なしの山越え歩行の辛さを痛感した。 |
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No.7 気持ちだけでも共感したい (53才・女性)
友人4人と京都市役所から歩き出した。震災と想定するとビルや家屋、道路標識等が落ちていてこんなに早くは歩けないだろうな・・・と思いながら進んだ。1月17日の神戸の町は震災直後、どんな思いで寒い冬の朝を迎えたのか、せめてサバイバルウォークに参加して気持ちだけでも共感したいと思った。来年もこの企画があれば是非参加して神戸を忘れない!帰宅難民の会の参加者を友人に呼びかけ輪を広げたいと思いました。お世話をして下さいました事務局の方、本当にありがとうございました。 |
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No.8 ゴミが気になりつい拾う (61才・女性)
久しぶりのウオーク。2年程前迄は「あしながPウォーク」で年2回は歩いていたのですが、都合が悪かったり腰が曲がったりでつい遠ざかっていました。でも主人を送って後、用事を放ったらかして参加させて頂きました。気持ち良く歩けました。 |
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No.9 あの日の体験を思い出し (25才・男性)
今回参加させてもらったのは、私自身が神戸市の灘区で被災し、当時住んでいたアパートも全壊、水も明かりにも不自由する生活を経験したということを、自分自身にもう一度思い出させ、風化させないようにするためでした。歩行距離・時間ともに大したものではなく、とても楽でしたが、すべてのものが風化しつつある阪神・淡路大震災の教訓をもう一度見つめ直し、今後の生活、そして京都の街で市民のために働く一人の人間としてとてもよい機会になったと思います。ありがとうございました。 |
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【乙訓方面へ】(大阪含む)
No.10 普段使用の靴に不向きかも (31才・男性)
晴天に恵まれ快調に歩くことができて、自宅までの15キロの道のりは意外と短く感じた。しかし、今回あえて普段使用している靴で臨んだところ、足の裏にかなり負担をかけてしまった。慣れの問題かもしれないが、このぐらいの距離を歩くには不向きな靴なのかもしれない。実際歩いてみるとやはりそういう問題はあった。 |
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No.11 左足を痛めながら参加 (60才・男性)
当日左足を痛め参加を躊躇しましたがとにかく参加した。ウォーキング中痛みがきつかったが何とか自宅にたどり着き、私にとってはまさにサバイバルウォークであった。 |
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No.12 災害を忘れないために参加 (61才・男性)
天気も良く気温も高かったので気持良く歩きました。 |
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No.13 通行を阻む障害物の多さ (26才・女性)
いつも何気なく歩いている様でもサバイバイルウォークという観点から見てみると気付くことがいくつかありました。大きな通りを選び歩いていく途中、公園などトイレもあり避難場所にもなる施設が少なかったこと、車で利用するタイプのお店が多いためか目立つように看板が歩道にせり出ていること、歩道や自転車道などせっかく広く作られているのに路上駐車で道が狭くなっていることなどです。その他、普段は便利で使っている歩道橋や橋などが震災の時には障害物になってしまうのだろうかと強く感じました。私たちはいつどのようなかたちで地震に遭うか分かりません。日常生活の中で忘れかけていたことを今回のサバイバルウォークに参加したことで頭に入れておく機会を持つことができました。来年も参加したいと思っています。
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No.14 日頃の運動不足に疲れが出た (39才・男性)
歩いている間は朝の空気が清々しく気持ちよかったが、日頃から歩いていないので、帰宅後どっと疲れが出てしまった。体力の低下が問題。市役所から自宅までの間を歩くこと自体は、平常時なら問題はないが、震度7以上の震災に見舞われたら、建物の倒壊によりおそらく帰宅は困難になる恐れがあると感じた。 |
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No.15 主人と二人で楽しく (47才・女性)
昨年、大阪から歩いて帰られた話を新聞で読み、大変だなあと思っていました。私も歩いてみたいと思いましたが、大阪から向日市の自宅へはちょっと無理(災害にあったら、そんな事は言ってられないんですが?)。京都の市役所からなら何とか帰れるだろうと今回参加しました。普段結構歩くようにしているので自信はあったのですが、膝を痛めていたので途中で歩けなくなったらどうしようなんて考えていましたが、主人と二人、本当はいけないんですが、アチコチ寄り道をしながら歩いたので、楽しく帰ってこられました。途中、ホテルでトイレを借りたりしましたが、ガソリンスタンドやスーパーなどトイレは結構あるようですが、どこも水洗トイレで水が出なくなったら困るでしょうね。次回もぜひ参加したいと思います。
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No.16 違法駐車・・マナーの再確認を (61才・男性)
私は大地震発生後を想定し、帰宅するコースをできるだけ幅の広い道路を選び歩くことと、避難が必要な場合を考え西京極運動公園を通るコースを設定しました。10年ほど前からウォーキングを楽しんでいますが、この程度のウォークは何等問題はありません。 |
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No.17 高熱の中で、無事帰宅 (50才・女性)
子供の頃より病弱な私は、今も風邪はひきやすく、今年も正月早々に39度4分の高熱に悩まされました。今回のウォークも風邪がぶり返すのではないかと家族に心配をかけましたが、お陰様で無事完歩できました。その後の体調も少しずつ元の体力に戻りつつあります。 |
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No.18 空気が悪く歩きにくい国道 (39才・女性)
災害時には危険と知りつつも、普段あまり歩くことのない商店街や住宅街なども不謹慎ながら楽しんで歩いてみた。その辺りに比べやはり国道などは交通量が多くとても空気が悪く歩きづらかった。もし仮に災害が起きた場合、国道などはいつも以上に埃っぽく歩きづらくなるであろうから、マスクなんかがあると多少歩きづらさが軽減できるのではないか?と思う。あと次回は信号機が機能しない場合、橋が決壊して桂川が渡れない場合、家族と連絡がとれない場合など、いろいろなことをイメージしながら歩けたら?と考えている。
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No.19 旗を片手に、6年前を思いつつ (68才・男性)
朝食に餅を三個食べて来た。飲まず、食わず、休まず、をテーマに完歩する為。長岡方面の小旗を持って出発。御池通りを西へ、災害を想定して歩く道々5年前を思い出す。雲一つない青空のもと想定とは云い乍、当時とは雲泥の差の心境である。あの日の朝「グラッ」ときて娘夫婦は家具の下敷きになって居た。その時親の私は長岡京市にいて電話は通じず、交通手段はすべて絶たれてしまっていた。ただオロオロとするばかりであった。九死に一生を得て今は奈良に居を移して、3才と6ヶ月の男の子の母親となっている。今日の事を含めて孫達にも伝えておかねばならぬと思った。五条堀川を西へ、やがて大橋へ来た。もし橋が落ちていたらどうするか、上流を見ると堰が見えた。危険でもあるが、あれを渡るしかないと心に留めた。千代原口から物集女街道を南へ「帰宅難民の会」の旗を、歩く人、自転車の人、車中の人が見ながら過ぎて行く。あと少しだ。意外と疲労がない。日頃歩いているお陰だ。被災犠牲者の鎮魂を祈りつつ我が家についた。 |
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No.20 歩いて気づいた警察や学校等 (64才・男性)
最長距離、尼崎の人の話を聞いて勇気づけられた。京都五条通を西に向かって歩いたが、歩道と自転車道とがありスムーズに歩くことができた。災害発生の場合もメイン道路が良いと思った。 |
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No.21 トイレ場所の確認等、ポイント (49才・男性)
公衆トイレ、小学校等のトイレ利用場所の確認が必要と思いました。通常利用している橋が通行不能の時の代替となるルート及び橋の確認が必要です。 |
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No.22 自宅を目指して70キロ (69才・男性)
市役所をスタートし、しばらく歩くと5年前の大震災後の時、友人をたずねて歩き回った時を思い出しました。国道を利用したので、車の通行量が多く排気ガスに悩まされました。各市町村の様子を見ながら気持ちをいやし、ただ自宅を目指し一目散に歩きました。
又途中にスーパー等があり安心して思い切り歩くことが出来有難く思った。ただ道中歩道等を通行中、ルールを守らない、特に夜間無灯火でおまけにスピードを出して走行する自転車が多く、危険な時が幾度もあった。特に若者が多いようです。 |
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No.23 犠牲者の追悼と復興への願いを込めて (51才・男性)
震災犠牲者の追悼と復興への願いを込めて、今回一生懸命に歩かせていただきました。私は酒井雄哉大阿闍梨氏を歩く心の師と仰ぐウォーカーで7km/h歩とラジオを聴きながらの挑戦です。 |
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No.24 幹線道路を歩く (60才・男性)
家までほとんど幹線道路を歩きました。広い道路は大きなビルが多くビルの下はこわいし、細い道は通れなくなっている可能性があるし、やっぱり神戸のように壊れてしまうと思うように歩けなくなるのが良くわかりました。
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No.25 震災の映像を思い描き ( 不明 才・女性)
震度7の激震を想定して出発。とはいっても、頭の中で、阪神大震災のテレビでの思い描きながらのこと、なんの障害もない広い道をさっさと歩きました。
御池、堀川、五条通りには5階?7階建てのビルが立ち並び、現実であれば、まさにあの惨状が目の前に展開されて、この広い通りも瓦礫に埋まり車道にはもちろん車もひしめいて、人々のうめき声?等など、夫と語らいながら、でも、なかなか実感は湧かず、むしろ楽しいウォークでした。
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No.26 職業人としての自覚とは ( 才・男性)
自動車整備士の私が、市役所前にて自動車を運転中に大地震に遭遇したと想定した時、自宅=職場の中京区四条中新道まで、どの様ににして帰るのが最良なのか? |
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No.27 ゼッケンを着けて歩けば・・・ (55才・女性)
道中の目標になる建物を確認しながら歩いたが、この高い建物や、木造の家が崩れてきたら人間ひとたまりもない。たまたま通りかかった人につぶされた蟻のごとくであろうと神戸の災害の恐ろしさと、すさまじさを改めて思った。そして、今もっとボランティアとして何か出来なかったかと考えさせられた。15日の朝日新聞の夕刊に活動が載っていたが参加した人たちもゼッケンでもつけて歩いてPRすれば良いかと思う。参加させて頂いて、災害を忘れない、防災の意識をもつ良い機会になりました。ありがとうございました。 |
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No.28 アーケードの下は大丈夫か (50才・女性)
私は友人2人と参加した。目的地は職場。経路は河原町通りから四条通りへと歩くことにした。しかし、四条通りに出てアーケードの下を歩くことになり、この道で良いのかと不安を抱いた。堀川通りに出たとたん道幅は広くしかも建物は少ない。アーケードはない。来年は、堀川通りを歩くことに決めた。 |
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No.29 道の上に看板や電線が多い (49才・女性)
初めて歩きました。日常はバスや自転車で何気なく通りすぎている道も意外と頭上の看板や電線の多いことに気づきました。これからはいろいろと注目して歩きたいと思いました。 |
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No.30 道路の危険性を認識 (25才・女性)
今回私が歩いた距離はそう長くはありませんでしたが、共に歩いた人達と問題点を挙げながら歩いたことは、日頃何気なく歩いている道路の危険性を認識する良い機会となりました。 |
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No.31 自分の身は自分で守る (56才・女性)
朝6時自宅出発。娘と静まりかえった街中を歩く。自動販売機の明かりがやけに明るく感じる。地震で停電し暗闇の中を一人で知らない場所を歩かなければと想像すると不安は最高になる。集合場所の市役所より、大通りを選んで歩く。途中、公衆トイレ、公園らしきものが見つからず知人の事務所でトイレを借りる。「飲まず、食わず」と言っても1時間20分。これではサバイバルとは言えないかもしれないが、尼崎の人、年長者(74歳)の方が参加されていた。これは本当に正真正銘のサバイバルに違いないと思った。「自分の身は自分で守る」と自発的に多くの方が参加されたことに感動し励まされました。 |
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No.32 限界に正面から挑戦して (60才・男性)
妻と娘、娘の友人2人の5人で堀川五条まで。1人が抜けて4人が我が家まで。公衆電話の合計は24台(但し進行左側のみ)。公園、公衆トイレ所在表示の標識なし。歩道、自転車道に乗り上げた自動車も見られるが、道路を駐輪場と定め常時専有しているのが2箇所ある。 |
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No.33 窓ガラスの落下は? (51才・男性)
京都は歩いて楽しい面がある街だと思った。特に東本願寺の新しい瓦が目に優しかった。大きな通りを歩けと実行委員長が言われたが、大きなビルの窓ガラスは落下して危険ではないのかと思った。「窓ガラスは余震で落下しないのかな」などと考えた。年に一回程度はこんな企画はぜひお願いしたい。 |
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No.34 ひたすら歩き続ける (58才・男性)
新聞紙上で、当企画を知り、妻と参加いたしました。事前に市内地図を購入し、およそのコースとタイムを予想しておきました。当日は好天にて、歩いているうちに防寒着がいらなくなり、汗をかく事となりました。市役所前から向島までのコースは、ほぼ直線で南へ下る事ができ、地図上の最短距離を、飲まず、食わず、休憩なしで、ひたすら歩き続けました。 |
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No.35 道路をふさぐ障害物の多さ (51才・男性)
参加することにしてから、どのルートを採るか考えて、火災が発生した場合、水の近くを通るのがいいだろうから川端通りがいいか、鴨川の河川敷を行った方が、と考えたりしたのですが、初めてのことだからということで、一番ストレートな河原町のルートを採りました。アーケードは安全なのかな、街路樹は?など考えながら、よそ見をしながら、放置自転車や歩道にはみ出して置かれている看板が意外に多いのに、改めて気が付きました。歩くことは厭わない方で、よく歩きますが、今後は障害物のこともチェックしながら歩こうと思います。また勤務先が大阪市内ですので、これを契機にそこから帰宅することもやってみようと思っております。
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No.36 家族の安否が気になって歩く (64才・男性)
実際に震災に遭遇した気になって歩いた。 |
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No.37 危険性の少ない道路を歩く (45才・男性)
早朝の京都市役所の出発では、それぞれに思いを持った人達が阪神大震災の記憶を呼び戻し、今ここで地震が発生したときに自分の採るべき行動を実践するがごとく個人個人のコースを選択して自宅に向かいました。 |
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No.38 完歩できて満足 (48才・女性)
他都市での実施を知り、京都でもあればと思っておりましたので、今回参加出来て良かったです。幹線道路を使うという条件を、途中少し破って、稲荷神社へお参りしました。毎日約50分、7千歩程歩いていますが、2時間半程で疲れを感じ始め、3時間を過ぎると足の後ろが張ってきました。それでも普段電車を使っての3倍強という時間で歩けるのは驚きです。完歩出来た自分に満足!!お世話役の皆様、有難うございました。
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No.39 川沿いに歩いて (53才・男性)
阪神大震災以来、「帰宅難民の会」の催しに興味を持っていたこともあり、今回京都で初めて行われると聞いて参加しました。何度となく自宅まで歩いたことがありましたので、コース取りを今回は、落下物の危険の少ない、鴨川沿いの河原に求めました。 |
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No.40 日常から耐えられる心身と感謝の気持ち (67才・男性)
阪神大震災から丸5年を前に、サバイバル・ウォークに参加を決意し、京都市役所前に集合した。受付のあと、間もなく開催され、主催者のあいさつがすみ6432人の尊い犠牲者への黙祷を捧げた。 |
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No.41 国道は、排気ガス、騒音・・・ (不明 才・男性)
あらかじめ自宅で、地図上で予定していたとおりのコースを歩きました。早朝は車も少なく快適でしたが、一号線は思った通り車が多くて、排気ガス、騒音で歩くにはあまり適していないと思った。(災害時にはそんなことは言っておられませんが?) |
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No.42 惨事を忘れない為に参加 (71才・男性)
5年前の震災時は喘息の発作のため入退院を繰り返していた時期で、一部損壊の豊中の自宅のテレビで惨状を見、カンパだけでしか参加できなかった。ほぼ体調が戻ったので少しでもあの惨事を忘れないために参加を決意。のどかな鴨川、桂川を歩くだけでは追体験などとても無理なのは分かっていたが「忘れないために参加する」ことが出来ただけでも良かった。 |
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No.43 気になる橋 (47才・男性)
昨年は大阪市役所より自宅まで6時間以上かかって歩きました。この時は4時間を過ぎると足がスムーズに前に出なかった。今回は距離が短く、全行程下りとなるため疲れる前に自宅に到着したが、途中で足裏にマメが出来て歩きづらい時期があった。京都より八幡までは必ず鴨川・桂川・宇治川・木津川を渡らなければならないため、地震で端が壊れた場合は帰宅するのに、大きく迂回しなければならないので、京都府南部にもっと橋があればと思う。
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No.44 橋が交通障害になる時 (74才・男性)
小生の自己PR。昨年は一晩で100km歩行を4回、その他一日50km、40kmは数知れず、の状況です。 |
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