これまでの活動記録
第4回参加者感想
№1地震発生を想定して (34歳 男性)
№2自分の足で帰れたことに感謝 (63歳 男性)
№3今年も。心の中で合掌 (64歳 女性)
№4一日一生として歩く (54歳 男性)
№5喉元過ぎても熱さは忘れない (56歳 男性)
№6地下鉄の線路は安全かも (30歳 男性)
№7ビルの谷間は危険地帯 (61歳 女性)
№8車イスの人は逃げられるの? (61歳 男性)
№9来年も、ここで会いましょう (61歳 男性)
№10今回は寄り道しながら (61歳 男性)
№11備えあれば、憂うことなし (56歳 男性)
№12点検・改善しようとする人がいれば・・・ (64歳 男性)
№13得た知識は役立つ (28歳 女性)
№1 地震発生を想定して (34歳 男性)
例年のごとく快晴、と言うよりもむしろ地球の温暖化が懸念される天気なのですが、自分の体力チェックと気を引き締めるべく第4回に参加しました。参加人数が今回少なかったのは寂しいことですが、何かと世の中は不安な様相を深めているので、無理からぬ事とも思います。今回私は耐震建築コースに参加したあと、自宅まで歩いて帰るという経路を取りました。距離としては15kmほどなので、限界に挑戦するという感じでもないのですが、歩き終えてみて日頃の運動不足は否めないようでした。 今年の初めに発表された花折断層における地震発生の確率は、全国のデータの中では高い部類に属するということでした。年を経るごとに阪神淡路大震災の記憶は薄れていきますが、逆に花折断層の危険度は増していくと考えるのが自然です。各個人の災害対策装備を充実させることはもちろんですが、普段知る機会の少ない公共的な災害対策の充実度について知ることができれば一層安心できるのではないでしょうか。 |
№2 自分の足で帰れたことに感謝 (63歳 男性)
参加人数8人で、女性2人を含み、最高年齢78歳を筆頭に60歳代、50歳代で保津狭コースに挑戦しました。足を気にしながら眼下に保津峡を見ながら八丁峠までぶじ何事もなく通過。嵯峨野あたりから山腹のそばを歩き、山肌を見た時、大地震があったら道が塞がって通れない個所に出くわすかもしれないと思い歩きました。また、歩くコースでトイレの数が少なかったことに気がつきました。天気もよく汗をかき、一人の落伍者もなく思い出の一日を過させていただきました。大地震があっても誰に頼ることもなく15km、3万歩以上、4時間自分の足で目的地まで歩いて帰れたことに感謝して、また自信もつきました。また、来年も縁がありましたら参加したいと思います。京都ウォーキング協会会員。 |
№3 今年も。心の中で合掌 (64歳 女性)
まずは元気に自宅まで歩けたことにありがとう。関係者の方々にもありがとう。今日のように暖かい日に災害が起きるとは限らない。家に着いた頃には汗がにじんでいた。一年又一年と、阪神大震災は忘れられない。と言いますのも母の命日だからです。あの時、大勢の人が亡くなられ原因は違っても一緒に皆様の供養と思い、心の中で合掌させて頂いています。こうして歩かせて頂くのも一つの形として、私個人の表現の仕方かもしれません。 今日は参加者が少なく感じられましたがどうでしょうか。自分のためにも一人でも多く参加されますことを念じながら・・・ご苦労様でした。お世話になりました。 |
№4 一日一生として歩く (54歳 男性)
2003年の歩き始めは京都より。私の完歩を六角堂にて祈り願い、震災犠牲者の追悼と復興への願いを込めて、今日一日を一日一生とし、一生懸命に歩かせていただきます。よいご縁で8時間30分間も心の中で念仏を唱えさせていただき歩けましたことに感謝します。ありがとうございます。 |
№5 喉元過ぎても熱さは忘れない (56歳 男性)
いつもの事ではあるが、歩道には自転車やバイク、所によっては店の商品が置かれ、車道にも駐車車輌があり、道は歩きにくい。トイレは公園やJR駅にあり、通常では駅員の方が手軽に利用させていただける。ただ災害時はどうか判らず。 携帯電話の普及で公衆電話の数が減ってきている。災害時に避難場所の場所が判りにくい。御池通や丸太町通(西大路~嵯峨)は歩道が比較的歩行しやすいが、大覚寺~鳥居本~保津峡駅の間は道路幅が狭く車と離合する際は気をつけなければならない。山地に入ると崖が多く、危険な所はネットがしてあるが十分であるか不明。落石の危険な場所も防災時は注意が必要。 私自身が感じた総括として「喉元を過ぎれば熱さ忘れる」の言葉通り、年月が経ち災害時の恐怖が風化しつつあり、公共の立場にある所(機関)が本腰で力を入れてこのような催しを行ってもらいたい。人間だけでなく、生命あるものの大切さを忘れないで欲しい。 |
№6 地下鉄の線路は安全かも (30歳 男性)
中原様ご苦労様でした。私も勤務先まで歩きました。日頃からあまり歩かないので体力づくりに歩くことは大切と実感させられました。 歩道が思った以上に狭く、ここに建築物が地震で崩壊して倒れてくると本当に歩きにくいと実感させられました。烏丸通りを北に歩いたのですが、地震が起きた時、地下鉄を止めて、その地下鉄線路上を歩いて避難できるようにしたらいい・・・なんて一人思ってしまいました。(宝ヶ池まで歩いても知れているのでちょうど大きな公園もあることだし、ちょうど避難場所になりませんか。)地下鉄東西線も逃げ道に使えますよね。 |
№7 ビルの谷間は危険地帯 (61歳 女性)
自宅まで歩いて10分位で、ビルの間のどこを通っても危険なところばかりです。兵庫など遠方からも年配の方が参加されているのを見て、本当に感動しました。 来年からの参加には地元の役割をになって、地震直前までは楽しいくつろいだ雰囲気、寒さ厳しい朝に、みなさんにホットコーヒーでも準備してこよう、と思っています。そしてもっと仲間をつれてきたいと思いました。 |
№8 車イスの人は逃げられるの? (61歳 男性)
伏見街道、狭い道。空を見るとクモの巣をはりめぐらしたような電線。電柱が倒れたらと思うとゾッとします。歩道が少ない、自動車が主の道、トイレはほとんどなし。途中、藤森神社でトイレ。バリアフリー、バリアフリー(行政による見かけだけのバリアフリー)というが生活道路では一見バリアフリーができているようだが、人の通行出来る歩道も確保されていない道が多い。車イス等の人はどの様になるのか考えさせられるウォーキングでした。 |
№9 来年も、ここで会いましょう (61歳 男性)
1月の寒い朝、初めてサバイバルウォークに参加しました。この企画は「アークデューうたごえ喫茶」でのアピールを受け、行ってみようと思ったのです。 市役所に着いてから、会が始まるまで、寒い中、地震のパネルを見ている人、資料を見ている人、話をしている人、手をこすり合わせじっとしている人と様々です。会の始まるまでは手持ち無沙汰になるので、皆で歌を歌いながらそれを通じで周りの人と話をして、顔見知りになるのも良いことではないかと思います。来年も又、ここで会いましょうとそれぞれのコースを行くのも良いのではないでしょうか。 |
№10 今回は寄り道しながら (61歳 男性)
過去3回参加させていただいておりますので、今回は観光を兼ねて寄道、昼食を含むコースで帰宅しました。従来は、三条通より鴨川に沿って、七条より本町通を南下していましたが今回、縄手通、えびす神社に参拝して五条通より鴨川沿いを本町通へ東福寺、筆の寺を回り、光明院にて「石庭」観賞、山手沿いに稲荷神社参拝、深草墓園の奥より深草山経由し、七面宮、宝塔寺に下る。本町通に出て、疎水べりを南下、墨染めの近くで食堂へ入り昼食をすます。再び本町通、24号線より京町通、丹波橋駅(京阪)をすぎ、御香宮神社参拝、フリーマーケットなどを見学しながら観月橋を渡り、伏見の地酒を酒造メーカーで買い「おみやげ」持参で自宅に帰ることが出来ました。今回は友人夫妻と4名で参加。日頃、地域の「歩こう会」で活動しているので特に疲れを感じなかった。飲まず、食わずで、直帰と違い、観光などの目的があると、同じコースでも違ったように感じました。 |
№11 備えあれば、憂うことなし (56歳 男性)
1995年の阪神淡路大震災から8年目の1月。京都市役所前広場から自宅までのサバイバルウォークに初めて参加した。思えば大震災直後の土曜日、中央市場から直接仕入れてもらった野菜、肉、味噌などの食料品、下着、カセット用ガスボンベなどの支援物資をライトバンに積み込み、警察で緊急車両の許可マークを取り、名神高速道路を下った。尼崎のインターまで走れたのはラッキーだったが、そこからが大渋滞で、緊急車両のマークも役立たず、2号線へ入ると救急車、パトカー、消防車も渋滞に巻き込まれて身動きできない状況。以前営業で走ったことがある2号線に沿った脇道を行くと、電柱が、ブロック塀が、また、倒壊した家が道をふさいでいる状況で、迷路を行くように、行きつ戻りつしながら、西宮までたどり着いたのを思い出した。もし京都で、このような規模の地震が起きたら、どうなるのか、下京区ではどこへ避難するのだろう。 おりしも学校統廃合で下京の廃校になった小学校が、一時避難場所の指定を外され、廃校になった学校のプールも防水用水の指定から外されていることがわかり、京都市へ申し入れました。また、学区ごとの消防団に小型動力ポンプの配備の要望や、公園への地下貯水槽の設置も要望してきました。 年に一度のサバイバルウォークですが、大地震は忘れずに、いざという時のみずからの備えと、行政への要望も忘れてはならないと改めて思う良い機会となりました。 |
№12 点検・改善しようとする人がいれば・(64歳 男性)
東南海・南海地震被害想定をみると大変ですね。京都市内に住むわたしは、怒り狂う津波が建物を飲みこみながら河川を矢のスピードで逆流するシミュレーションをみるだけで絶望的な焦燥に駆られます。当地の人の思いはいかばかりでしょうか。東南海・南海同時地震は、被害甚大であるとともに隣県も被害者であることから救援が阪神淡路より難しくなります。科学的な被害想定にもとづく自助共助公助の、必要な役割を住民参加で具体化し、想定訓練を何度もやる必要があるのでしょう。「日常訓練を上回る本番での成果はない」と肝に命じておく方がいいようです。 京都では、東南海・南海地震時の被害も無視できませんが、花折断層など内陸型巨大地震による被害です。阪神・淡路大震災を上回る被害想定が示されています。次回の京都サバイバルウォークは5周年ですね。しかも、阪神大震災の日1月17日の開催です。 京都の巨大地震被害想定を自分の居るところ、住まい、職場などにあてはめて備えを考える作業を本気でやってみて、本気の対策がはじまるんだろうなどと思いながら。老朽化した家、脱出法が心配な袋小路、これは落ちるぞ看板、いたるところにある危険を目にすると、やはり、いたるところに点検・改善する人がいることが一番だと黙々として家路についた。 |
№13得た知識は役立つ (28歳 女性)
毎年、自宅まで歩くかたちで参加していますが、今回は推奨コースの「建設会館コース」に友人と一緒に参加しました。建設会館では、ビデオを見て、お話を聞いて家の強度(耐震性)に関する勉強をしました。しかし、誰もが「自分の家を補強したい」と思い、「家が倒壊し命を落とすことを思えば補強する費用なんか安いものだ」と判りつつも、すぐにそれを実行に移せる方は少ないのではないかと思いました。大震災から8年も経ったのと、最近地震がないのとで、危機感がだいぶ薄れてきてしまっていることも否めません。 今度、引越しをすることになり、マンションの部屋探しをしてきましたが、限られた予算の中で地震のことを考えて建てた物件を選ぶことは難しく「せめて1階はやめておこう」という程度の選択が現実でした。しかし今回このコースに参加して得た知識は必ずいつか役立つと思います。この日の為に、準備してこられた方々、ありがとうございました。来年は記念すべき第5回ですね。また、ぜひ参加したいと思います。 |