これまでの活動記録

第6回記録

開催日 2005年1月15日(土)
集合時間  
受付開始時間 7時30分
出発時間 8時45分
集合場所 京都市役所前広場
参加費 100円
天候 集合時小雨、昼から雨
参加人数 58名
最高齢参加者  
最長距離歩行者  
特記  
1. 杉本雅代さんによる朗読
2. 建築会館にてビデオを見る(8名)
マスコミ取材 朝日・産経・京都・週間民報・毎日放送
質問内容 今年の特徴は?
過去5年の参加者の歩いた感想は?
今後の課題は?
建設協組のコース自身にサバイバル・ウォークの意味があるのか?
鯰のマークは、裏にサバイバル・ウォークの趣旨があって、宣伝になるのでは?
震度7.2の表現は、正確にしたほうが良いのでは?
遠距離は?
最年少は?
若者が少ないのは?
毎年、同じなのか?
夕刻の確認新聞 週間民報、朝日新聞
参加者内訳  
地域 市内41名 
内下京13名
他行政区28名
京都府(市内除く)8名
宇治・木幡・長岡京市・向日市・神戸1名
他8名は申込書なし。
質問・意見 毎日新聞を見て参加3名。
アルファステーションラジオを聴き参加。
推薦コースに期待していた。今までと違うコースを歩きたいと参加。
歩くことの意味を明確に訴えることが必要。
出発時点のコースと案内が分かりにくい。
06年は退職するのだ協力したい。
よく準備された。偉い。
宇治までの一番良いコースは?
当日収入  
内訳 新潟中越カンパ 2700円
記録集記念号 5冊販売
   
開会式での朗読

原文は阪神淡路大震災被災者、神戸在住・1級建築士 村上忠孝さん。
「"阪神・淡路大震災の現場から"、5周年をむかえた京都サバイバル・ウォークの仲間に贈る」寄稿文を基に
朗読は前進座女優  杉本 雅代さん。

神戸。1995年1月17日午前5時46分。
閃光が西の空に走る。
「ゴー!」重量感に満ちた地鳴り。
わたしの身体は建物ごと振り回される。
「お父さん。なに?これ」妻がわたしにしがみついてきた。
隣の部屋から娘が「お父さん!」「お父さん!」、叫んでいる。
明け方の空に、閃光が走りつづける。
第2波、3波、4波、5波。
いつ果てるのか震度5から6の余震が、胃の腑を突き上げる。強烈なボディブローだ。
多くの人がこの10年、非日常の世界を体験することになる瞬間である。

われに返ったわたしは、携帯テレビと携帯ラジオのスイッチを入れた。
「垂水区のビルが一棟傾いています」NHKラジオの第一報。
ともかく親戚に安否を知らそうとしたが、携帯電話は、まったく用をなさない。
公衆電話に走る。「神戸の村上です。生きています!安心してね」
親戚にかけまくる。それもつかの間、投入口に10円硬貨が溢れ、通話不能になってしまった。

わたしは、管理しているマンション入居者の安否が心配だ。無事を祈りながらひたすら歩く。
西区の自宅から灘区六甲道。異常な光景に目を奪われ、非日常世界を目に焼き付けながら歩く。
完全に潰れた長屋の玄関に放心状態の老婆が座っている。
「おばあさん逃げよう」老婆はつぶやくように「もういいよ」動かない。
避難所の学校には「000無事。ここに居る」ダンボールにマジックで急ぎかかれた伝言板。
国道43号線は搬入物資を積んだトラックが、溢れ動かない。エンストの車が放置されている。
威張って建っていたビル群。一部崩壊、45度傾斜、全壊と満身創痍だ。
残っているビルも青息吐息。ヤット建っている。

長田区。神戸西市民病院が崩壊。患者・看護士・医者、生き埋め。救援不可。地獄のようだ。
ケミカルシューズの町長田区は全壊・全焼状態だ。
ここ長田区の地面は、熱く、あらゆるものが溶解、している。
わたし自身、人の骨も焼き切れていて、拾い上げることができない。

わたしが帰宅したのは地震から2日後。
丸2日歩き続けた疲労で、丸3日間眠り続けた。


救援は3日が生死の限界点です。
復旧は発災後3年が生死の限界点です。
復興は発災後10年でもまだ道半ばです。


寄稿文を基に朗読用を急遽作成したもの 文責 中原にあります。

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