各種報道のまとめ

2000年1月17日、KBSラジオで紹介

今回の取り組みに際しては、マスコミ各社も好意的にとりあげていただきましたが、中でもKBSラジオは、実施前の11日(火〉午前7時30分から「笑福亭晃瓶のほっかほっかラジオ」に電話出演、終了後も、17日(月)の午後4時7分からの「井上裕子の情報ラジオピア」にスタジオ生出演させていただきました。会を代表して実行委員長の中原弘志さんが出演しました。
17日の出演内容の一部を抜粋して紹介
(>=井上さん)


こんにちは ・・・・・ 略

>きまり事というのはあるんですか。

条件をはじめに設定しましてね。一つは京都こ直下型のマグニチュード7の地震が発生した。交通横網は全面的にストップしている。それで本人は外出ないしは勤務中であると。で、この人達が自分のカで家まで歩いて帰れるか?歩いて帰ろう!これがまあ設定なんですね.だからそれぞれに違う所に帰られたということですね。

>で、これは飲まず食わずということになるわけですか。

ええ、まあ.できるだけ20キロ以内の人については、飲まず食わず、できるだけ早く、できるだけ遠くということで少しハードな課題を出しましてね。

・・・・略・・・

>ということは、勤務している先ということで、ということになるわけですね。実際に遠くまで歩かれた方もいらっしやるんでしょうね。

ええ、おられます.ピックリしましたけど、“尼崎まで歩きます”と言ってね。だいたい50キロから60キロとあるんですね。51才の方でしたけどね。後で確かめてみましたら“ちゃんと完走して帰りました”ということでしたね。

>実際に、報告をということで記録に残されているわけですね。

もうすでに10通ぐらい返ってきましてね。ちょっと特徴を紹介しますとね。一番高齢の方が74才で、この方は八幡の男山に帰られた森さんという方なんですけど、26キロを歩かれたんですけどね、非常に詳しくてね。これからのキーポイントは恐らく川ではないのかということで、宇治川とか、木津川の橋ですね。こういうものに障害が起こった場合は交通障害が起こるであろうと。桂川、瀬田川も気になる。というような意見を付けて返されていますね。

>車で、例えばその場所を通った時には感じなかったものを目で見て歩いてみて、というところですね。

ええ、それは随分ありますね。他の方であれば、例えば公園をどうしても見つけようということをおっしゃておられる方が案外多かったんですよ。

>公園を見つけようというのはどういうことなんですか。

児童公園には必ずトイレがある。

>なるほど

道を歩いていましてもトイレがどこにあるかということが全く書いてないんですからね。

>書いてませんね。

ええ、最近減ったのはトイレと公衆電話、これはもう激減してますからね.そういう意味では日頃からこういうものをね、自分の帰宅の通路で確認しておくということは非常に必要だと思いますね。

・・・・略

>京都ではサバイバル・ウォークは初めてですけれども、すでに実施されているわけですよね。

ええ、1995年の6月に東京の吉武さんという方が神戸にボランティアヘ行かれて、何かやることはないのかということを考えられましてね。12名の仲間と一緒に東京で歩きだしたんですね。

>“帰宅難民の会”という・・・

ええ、この名称がちょっと物議をかもしだしましてね、初めは色々間違えられたと言うんですね。浮浪者と間違えられたりね.また考え方は結局、トポトボと家に向かって帰る姿、場合によっては野宿をしたりして頼らざるを得ない。頼ったとしても家がそこに存在していない、という姿をイメージしましてね.“難民”という言葉を使ったわけですね。確かに東京なんか見てみますと、40キロ以上というのはザラなんですよね。

>そうでしょうね。通勤圏内というのは随分広いですからね。

京都は、もう50キロというのが最高でしたけどね。

>50キロは遠いですよね。

ええ、こういった方は(東京では)ザラにおられますからね。

>でも、実際にこれが個人じゃな<てね、例えば独り暮らしのお年寄りが沢山おられる地域だとか、それから職場とか家族とか、そういう単位でサバイバルウォークにどんどん参加できるような、そういう風なものになっていけばいいですよね。

ええ、そうなりますとありがたいですよね。今、(自主防災会等の)自主的な組織率が京都は非常に高いとか、意識が高いとか言われますが、まだまだ自分の家に具体化をするということになりますとね。まだまだ知識として知っているという点はかなりありますけどね、具体化するということはまだ一歩ですからね。

>ええ、広域避難所がどこにあるかということを毎年この機に話をする、食卓で話をしても、そこまで行く道のことを一緒に歩いてみるとか、そういうこともなかったなと、いろいろ思ってしまいますよね。

今度の感想の中でも、家族で落ち合う場所だとか、あるいは家族の帰宅ルートだとか、こういうものを事前に確認をしておくことになったとかね。こういう報告もありましたね。来年はもう少しそういうのを頼み重ねて参加をするというようなうれしいお便りもいただいてます。

>そんなPRをしているわけじゃないのに、95人という人の教が集まったわけですからね。第2回はもうすでに決まっているんですよね.

ええ、第2回は2001年の1月13日、だから阪神淡路大震災の1月17日の前の土曜日。この日に毎年やろうと、言うことになっております。

・・・・略

>ありがとうございました。

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