地震に備える

コラム

主催者・参加者からのメッセージ

「心のフェイルセーフ」をつくるサバイバルウォーク


橋本 清勇

第一回から三年連続して京都サバイバルウォークに関わらせていただきました。そのきっかけは7年前の阪神淡路大震災ですが、それまでは正直なところ地震や災害は他人事であった私にとって、このサバイバル ウォークへの参加は、少なからず、私の意識の中に「防災」という考え方を植え付けたような気がします。

一般的に防災意識というのは、日ごろ忘れがちなものです。特に私のような若輩物にとって、定期的に開催されている地域や会社での防災訓練や避難訓練等は、ある種の決まりきった仕事、routine  workでしかなく、訓練後に身の回りの防災的不備を点検して改善する事もありませんし、応急手当や人工呼吸など万が一の時に役立つテクニックを身につけようというきっかけになる事もありません。良く「災害は忘れた頃に …」といわれますが、「忘れる」以前に「憶えていないし、知らないし、何より考えてもいない」という方が遥かに一般的だと思います。そのため、災害を経験した人には大切に感じられる訓練も、そうでない者にとっては「現実味がない」、「白々しい」、「気恥ずかしい」といった印象を受けるのです。「そんなのしたって結局無駄 じゃないの」という感じでしょうか。しかし好き嫌いに関わらず、日本は地震大国である事実は変わりません。地震を経験したことがない人でも、 日本のどこかで地震が起こったという記事を読んだこともなければ、被災地の映像を見たことがないという人は殆どいないはずです。ですから、何らかの備えや心構えが必要である事は誰もが一応知っているはずです。問題は、一人一人がそうした備えや心構えをしておくには、どうすればよいかという事です。

私はこれまで研究者のタマゴとして、京都らしい町屋や長屋といった木造建築や町並み、それらが生み出された「木造文化」について学んできましたが、その中で、それら魅力的な木造建築や町並みを火事や災害 から守る様々な知恵や工夫があることを知りました。消火用に水を入れた桶、いざというとき逃げられるようにつくられた裏木戸、「防火塗料仕上げ・耐火構造ウィンドウ」と呼べる虫籠窓、隣家への延焼を防ぐ卯建。また、日ごろの火の用心を忘れないため、おくどさんに傍らに張られる「火廼要慎」という火の用心のお札も そうした知恵の一つです。これらの技や知恵、工夫などが木造文化を支えているのだと思います。それはまさに海に浮かぶ氷山のように、華やかな建物や町並みの下に、先祖から代々受け継がれてきた知恵や技が強大な塊として存在しているようなものであり、それらは木造独自の「防災文化」といったものかもしれません。

今年の第三回京都サバイバルウォークでは、自宅へではなく、防災センターに向かうコースに参加しました が、防災センターを去る前に「3D京都大地震」という10分ほどの立体映画を見せていただきました。立体映 像の迫力に圧倒されながらも、木造の建物もコンクリートの建物も次々に倒れ、木が倒れ、道が裂け、あちこちで火事が発生する、その映像は、7年前の大震災の被災地で見た光景を呼び起こしました。

木造建築を学ぶ私にとって、あの震災の時、木造は地震に弱い、と報じられたのは大変ショックであり、「鉄やコンクリートで立てた建物だって倒壊しているじゃないか」と半分逆ギレのような気持ちになってしまいました。しかし、震災後、大学や研究機関で行われた、木造建築の耐震性や防災性を検証するための様々な 実験や研究を見ていく中で、多くの命が失われた最も大きな理由は、私達の地震に対する考え方の甘さだったのではないか、と思うようになりました。今は、どんな材料で建物を作るかではなく、木造なら木造に適した、コンクリートならコンクリートに適した、普段からの人々の災害に対する備えがあるかどうか、心構え があるかどうかが重要なのだと考えています。

新しい防災技術・システムが開発されれば、みんな災害に対して心配することなく安心して暮らせるようになるのではと錯覚してしまいがちです。しかし、阪神淡路大震災で被災した地域を思い起こしていただければ、そうした技術やシステムがあったとしても、どうにもならない事態が起こる可能性があることは否定できません。防災や安全の基本的な考え方の一つに「フェイルセーフ」がありますが、本当の防災や安全とは、 誰かが考えた、誰かが造ったものを鵜呑みにするのではなく、それが働かなかった時、うまくいかなかったときを想定して次の手を打っておくことが重要です。車で言えば、エアバックは付いているけれども、シートベルトもするし、何よりも事故が無いように細心の注意を払って運転することです。大震災を教訓と縷縷 ならば、いくら安全といわれる技術やシステムが開発されようとも、結局は人間の力が一番重要であり、結局は人々の日頃の心構えや備えが一番の防災の手段なのだと考えられないでしょうか。

京都は全国的に見て火災件数が少なく、「防災都市」と呼ばれますが、それは過去に遭った悲劇を繰り返さないよう、自治体や住民が自ら消火訓練を行い、また自治体の消防組織を作るなどして、一人一人がいざという時の備えや心構えを持っているからだと思います。サバイバルウォークという取り組みは、少し朝早く起床して、寒いけれども外出し、そこから自宅に歩いて帰るという簡単な行事であり、私のような若輩者でも、また小さな子供でも、あるいはお年を召した方でも、年齢、性別、職業、国籍に関係なく参加でき、しかも、行事に参加する事で、一人一人が、僅かかもしれませんが、防災に対する意識を高めていると思います。そうした意味でサバイバルウォークは、目に見えない「心のフェイルセーフ」を持つことができる取り組みだと考えます。

今後もサバイバルウォークのような取り組みが開催され、それが他の取り組みとも繋がりながら発展し、京都の持続的な防災の文化を形成していくことを強く期待しています。

参考文献:京都市消防局編「先人に学ぶ京の防災100年」、(財)京都市防災協会1999

inserted by FC2 system