これまでの活動記録

第5回参加者感想

№1 昨年に続き今年も完歩に感謝(64歳・男性)
№2 橋は大丈夫か(57歳・男性)
№3 ボランティア登録制度を作っては(52歳・男性)
№4 地域ごとのグループで移動を(59歳・男性)
№5 追悼と誓いを胸に完歩(55歳・男性)
№6 更なる広報・啓蒙を(67歳・男性)
№7 震災を想像しながら(53歳・男性)
№8 経験と体力の必要性を実感(35歳・男性)
№9 三重県にて津波被害を想定(27歳・男性)(29歳・女性)

№1 昨年に続き今年も完歩に感謝(64歳・男性)

歩行距離 19km(歩幅75cm)
歩行時間 3時間20分
歩数(万歩計) 25,030歩
歩いたコース 阪急長岡天神駅→長岡天神さん前の道→171号線→大原野口(東山)→竹の里→洛西ニュータウン→9号線→物集→家

昨年に引き続き参加させてもらったことに感謝です。風邪を引いてからだのどこかが悪なっても不可能です。今回は家の方向である長岡天神コースを選ばせていただきました。

 土曜日であったせいにもかかわらず交通量が多く感じました。(堀川通、烏丸通、171号線)昨年も今年も同じことですが、公衆便所が大変少なく、ガソリンスタンドで借りた次第です。大地震が日中に起こったら、交通は停滞、事故は多発、ビルの崩壊等、阪神大震災の二の舞になる可能性も否定できません。

足の状態も昨年並みで良くもなく悪くもなしで到着地点長岡天神まで完歩できたことに感謝です。万歩計を見たら25030歩ありました。

帰りは長岡天神の前を通り171号線→大原野口→洛西ニュータウンの中を通り、9号線、そして千代原口を通り、家に辿り付きました。参加人員3人、京都ウォーキング協会で又来年も縁がありましたら参加させてもらいます。ありがとうございました。

№2 橋は大丈夫か(57歳・男性)

歩行距離 8.6km
歩行時間 2時間40分
歩数(万歩計) 11,482歩
歩いたコース 河原町通(五条)→川端通(塩小路本町通)→→24号線→観月橋→自宅

トイレの設置場所がわかりにくい事と数が少ない。

橋が通行不能になったら自宅へは帰れなくなる事が心配です。

(トイレ位置…東福寺駅前(京阪電車)、御香宮神社横)

№3 ボランティア登録制度を作っては(52歳・男性)

歩行距離  
歩行時間  
歩数(万歩計)  
歩いたコース  

・ 災害時にボランティア登録制度をつくる。

・ 工務店や建設会社の協力で提供しうる機材のリスト作り(災害時に必要な機材リストを作り、それの中で持っているもの、揃えられるものに○印をつけてもらう)。

・ 地震対策:情報の系統的提供とホームページの活用。

・ 民間、公共機関での地震対策のイベントと啓蒙

№4 地域ごとのグループで移動を(59歳・男性)

歩行距離 16km
歩行時間 3時間59分
歩数(万歩計)  
歩いたコース  

1.歩き方については、初めからスピードを上げない方が良い。伏見区あたりでかなり疲れを覚えた。

2.トイレについては、ビルなどに入って用を足したが、歩道面にも標識があればいいと思った。公園には必ず設置されているため。

3.もう少し組織的な移動がいると思いますが、駅に限定せず、例えば宇治、伏見方面、醍醐・山科方面とかゾーンで区分を(5~10名程度は)。

マスコミ対策もあり、アピール効果を考えては。

№5 追悼と誓いを胸に完歩(55歳・男性)

歩行距離 55km
歩行時間 8時間25分
歩数(万歩計)  
歩いたコース 市役所→(堀川通)→(大宮通)→東寺→(R171号線)→甲武橋(尼崎・西ノ宮間は武庫川)手前より→自宅

2004年1月17日午前5時46分阪神大震災の発生時刻に黙祷をささげ、6時には自宅を出発「1月17日元気でお会いしましょう。友  遠方より…お元気で」を合言葉に8時には京都市役所前に到着、今回もガンバルと気合を入れて、振る舞われたぜんざいに感謝!

8時30分小雪が降る中を「私は歩いて帰ります」と心に誓い、いざ5回目に出発、震災犠牲者の追悼と復興を願い、一歩一歩元気に歩かせていただき55歳・55kmを完歩出来ましたことに感謝します。ありがとうございます。

№6 更なる広報・啓蒙を(67歳・男性)

歩行距離 12km
歩行時間 1時間55分
歩数(万歩計) 17,145歩
歩いたコース 市役所前御池通東進→鴨川河川敷遊歩道、塩小路橋迄南下→塩小路橋西進→河原町通南進→十条通西進→国道24号線南進→近鉄ガード直進→津知橋通西進→千本通り北入→自宅マンション

 今回、初めて参加させて頂きました。少なくても4,500人の参加者があるだろうと予想してまいりましたが、余りにも少ない員数に驚きました。毎年これぐらいなのでしょうか?それとも、時間的に早朝ということでしょうか?また毎年同じコースで一度参加された方は、こられないのでしょうか?もし、原因を把握されておられるのでしたらお知らせください。

 KWAの新年2日の、特別例会の参加者は660人もの参加者だったとのことです。このウォーキングの趣旨の、事の重大さは皆さんご承知だと思いますが、宣伝・啓蒙の不足も起因しているのではないでしょうか。わたくしは、昨年3月よりKWAの会員になって毎月例会に参加させて頂きました。したがって、この催しがあることを昨年の12月の京都スポーツウォークにて他のチラシと一緒に入っていたので、初めて認識した次第です。

 会員になる前は個人で毎日2時間ほどウォークしていました。一昨年の第一回“おこしやす”京都ツーデーマ-チに参加してKWAへの入会のきっかけになった次第です。当ツーデーマーチの宣伝はご承知のとおり地下鉄をはじめKBSテレビなどで拝見して知りました。初めて大きい大会に参加してゼッケンをみますと全国からの参加者に大変感動しました。

 又、私毎になりますが、昨年十一月末に奈良県にてJWA公認ウォーキング指導者研修会を終え本年より指導者として模範的なウォーカーを志さねばなりません。

 最後になりましたが、同封の別紙地図に記入しています経線で表記していますのが当日サバイバルウォークした道です。塩小路橋以南の鴨川河川敷の遊歩道は現在工事中です。自宅近くの久我橋以北名神間も工事中です。久我橋以南はご承知のとおり嵐山からのサイクリングロードが継続しています。したがって、一連の工事が終了すれば八幡の三川合流地点より上鴨御薗橋まで通じるのではないでしょうか。

 赤線で表示しています道は去る1月9日にテストウオークした道です。復路で利用しました堀川通りですが、名神手前の鴨川橋の歩道が工事中のため歩行できません。久世橋通より一筋南の道を西進し一筋目を南へ進み、鴨川堤防へ国道一号線西側を南へ渡り鴨川河川敷を自宅まで、特に、途中気が付いたことは南区の新堀川通の狭い歩道に植木鉢や放置自転車などが、非常時にはネックになるのではないかとおもいました。

 これを機にこんな私ですが何かお手伝いできるようなことがございましたら何なりとお申し伝え下さい。

 とりとめもない文章になりましたが、このもようしがますます発展なさいますようお祈り申し上げましてペンをおくことにします。

№7 震災を想像しながら(53歳・男性)

歩行距離 10km
歩行時間 2時間10分
歩数(万歩計)  
歩いたコース 市役所→河原町十条→(R24)→棒バナ→(竹田街道)→西大手筋→自宅(伏見区京町一丁目)

・ 河原町は建物(ビル)の倒壊で、とんでもない事になっているだろうな。(川端通りの方が安全かなとは思ったが、ビルの倒壊をイメージするため、合えて河原町通りを南行した。)

・ 9時過ぎJR東海道線をくぐる。地下道と高架橋とどちらが安全なのか考えてみるが、結果が出ない。

・ 9時30分、鴨川の橋を渡る。橋は地震の時にどうなのだろうか。鴨川の水量はそれほど多くはないので、いざとなれば歩いて渡れるのかな。

・ トイレはほとんど無い。鴨川の河原ならOKかな。

・ 電車の踏み切りはどうなるのだろう。

・ 道は普段から歩いているので、そんなに遠くは感じない。でも途中で家とかの下敷きになったりして助けを求めている人がいた場合それを見捨てて歩き続ける事はできないと思う。果たして家に帰り着けるか不安。

№8 経験と体力の必要性を実感(35歳・男性)

歩行距離 13km
歩行時間 2時間45分
歩数(万歩計)  
歩いたコース 推奨コース東方面:蹴上―山科―京都東インターチェンジ―大谷―JR大津駅

天気予報通り、雪の舞う中での今回のウォーク。

京都に住んでいても、歩いた事の無い道も多いので、自宅とは正反対の方角であるJR大津駅へのコースを辿ってみる。

車で何度も通った道であり、界隈を見ながら三条通りを東へ快調に歩く。

しかし、山科を出る辺りで足が止まった。

目の前では国道1号線、161号線、名神高速への接続などが立体的に交差、または分岐を繰り返しており、そこに歩道が地下道や歩道橋として複雑にからんでいるようなので、どの進路をとれば国道1号線の大津行きの歩道に出られるのか一目ではわからないのである。車にとっては信号無しに通過できる快適な道路でも、初めて通る歩行者にとってはコンクリートの巨大な塊である。

足は疲れているし、地図は無し、表示も無し、雪は降っているし、道を尋ねようにも行き交う人も見当たらないという、若干サバイバル的な状況となってしまった。

ふと振り返ると黄色いジャンパーを着た方がこちらへ歩いて来られる。

今回の参加者中、最高齢として紹介されていた大津市在住の方である。

その方に案内して頂き、国道の高い壁際をすり抜け、地下道を通り、その場を切り抜けることができた。

それにしてもあの時は有難うございました。

しかし、驚くのはその後である。

ここから先は大津へ抜ける峠なのだが、その長い長い上り坂をその方は全くペースを落とすことなく歩き、あっという間に私との差は開き、峠を登り切った時点で既に姿は見えなくなっていたのである。唖然としながらも、京都市役所出発から3時間弱で大津駅に辿りついた。

今回のウォークは、ベテランが初心者を救うという形となり、災害時や緊急時も同じようなことになるかもしれない。いざという時には経験と体力が必要だということを実体験したサバイバル・ウォークだった。

№9 三重県にて津波被害を想定(27歳・男性)(29歳・女性)

歩行距離  
歩行時間  
歩数(万歩計)  
歩いたコース  

5年目にして初めての悪天候(雪)の中、朝早くから京都市役所前に参加者が集合した。例年よりもマスコミ取材が多かったのは阪神大震災の節目の年だからだろう。私も、翌日の京都新聞に友人知人と共に写真が載ったのには、びっくりしたがとてもいい記念になった。今年は、特別寒かったのでぜんざいの用意があり歩く前に温まることが出来たのもよかったと思う。

このイベントには毎年参加してきたが、去年の春に引っ越したので今年は夫婦で三重県からの参加となった。今回、久しぶりに故郷の京都を歩いたことで今住んでいる町について考えることが出来た。

三重県の「松阪」に引っ越したのだが、引越し当初、松阪市が作成した「松阪市洪水避難地図 洪水ハザードマップ」が各家に配られたりして京都との違いを実感した。松阪は海に面しているのだが長年、京都市内に住んでいた私は、津波のことも真剣に考えたことなどなかった。松阪市役所の防災課に置かれているパンフレットの豊富さにも驚かされた。新居には、非常持ち出し用のリュックを用意し、食器棚に転倒防止用具を取り付けた。松阪は、京都に比べて建物の数も少なく畑が多い分、倒壊する建物の下敷きになる可能性は低いと思う。しかし、道に詳しくなく、知り合いもいない町での避難場所の確認、家族との避難場所の確認、津波の際に避難する高い場所(建物)の確認は大切だと思った。日中一人でいる時に自力で避難場所まで行けるかが不安ではあるが「自分の身は自分で守る」ということを全国どこにいても実践できるように日頃から心がけておかなければならないと感じた。

「東海」「東南海」「南海」の3つの地震が同時発生する可能性があり近隣都市からの応援は期待しない方がいいという新聞記事を見たことがある。震災の際「市民を守ったのは市民だった」という。「自分の町は自分で守る」という意識を育てるためにも年に1度のこうしたイベントに参加することは意義があると改めて思った。松阪でもこういったイベントがあれば参加したいと思う。

これから全国どこに引っ越しても出来る限り毎年参加して年に一度気分を新たにしたいと思った。

最後になりましたが、事前に何度も集まって準備をしてこられた皆さん当日お集まりの皆さん本当にお疲れ様でした。

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